父の評伝

父

「父親」という存在を客観的に見ることは可能だろうか。肉親である以上なかなか難しいのではあるまいか。
客観的に父を見るきっかけとして「死」が考えられる。それではお互い生きているという状態で客観的に見るきっかけには何があるだろう。離婚も考えられるが、実際にそうした家庭的事情がない場合、精神的に親子の間に壁ができるというパターンが考えられる。
ただだからといって即息子の側が父を客観的にながめられるというわけではない。息子側で、父を拒絶しながらも完全に頭のなかから消し去り得ない、そうした条件が必要だと思う。
小林恭二さんは、作家を志すにあたり父からワープロ購入を勧められた。当時ワープロは高価だったが、父からの資金的援助の申し出もあって思い切って購入したという。値段は何と200万円。
父がワープロ購入を勧めたのには裏があった。ワープロを手元に置き、親離れしていた息子と同居する時間をできるだけ確保したいというもくろみだ。父には息子を前に哲学などの「講義」を開陳する癖があった。ところが小林さんは父の意に反してこれを拒否した。怒った父は、小林さんを友人たちの面前で罵倒するというふるまいに出たという。
他人の前で息子を罵倒する父を情けなく感じ、「目の前のこの男は何者だと思った」という瞬間、「心の中でシャッターがおりた」。長編『父』*1新潮文庫)はこの瞬間に準備されたと言える。
小林さんの父俊夫さんは子供の頃から成績優秀・スポーツ万能の「神童」であり、中学を飛び級して一高に入学、さらに東大へと進み神戸製鋼に入社、専務の地位まで上りつめた。ただし性格的に問題があり、怒りっぽくて狷介、エキセントリックだったという。頭のすこぶる切れる人間にありそうな話だ。
小林さんはこの父の肖像を、父系・母系をたどり、朝鮮での少年時代まで遡って描き出そうとする。また親類縁者や学生時代の友人、会社の同僚・部下への取材をもとに、自らの知らない父の像を多面的に復元する。
可能性を追い続けた人生に疲弊して、可能性の追求を放擲した。その果てにあったのは、人生においてもっとも確実なこと、つまり「死」を自らの手で引き寄せることだった。ドライブ感に富み、一気に読ませる「父の評伝」だ。一企業人の評伝としても滅法面白い。