第45 風景の発見

ここ数年「平成日和下駄」では、毎年のように桜の時期の谷中を歩いたことを書いている(2001/4/4条、2002/3/17条)。桜のトンネルになる谷中墓地のメインストリートの美しさは毎年変わるところがない。たんに「美しい」だけであれば何も毎年同じ場所を通ったことを書く必要がない。
ところがたまにいつもと違う道を歩いたりしたとき、そこに思いもかけぬ発見があるのである。それが春の谷中を歩く醍醐味と言えるのかもしれない。
今日も朝早めに家を出て西日暮里で途中下車し、日暮里の諏方神社の境内に初めて入った。ここにも桜の木が植えられていて、朝の静寂と相まって清々しい雰囲気をたたえている。
お参りをしてから境内の東端まで歩く。この神社は日暮里の台地のへり、山手線などの線路を見渡す崖の上にある。崖の上から東を見渡してもいまやビルが見えるだけで何の風情もないけれど、昔はきっと眺めが良かったに違いない。
諏方神社の境内を抜けて諏訪台通りを歩き、今度は谷中墓地へ入る。散り始めの時期にさしかかっているが、まだ“桜の砂時計の底”の状態には達していない。やはりこの時期の谷中墓地は素晴らしい。昨日の花見で出たゴミが臨時のゴミ置場からあふれ出している。
いつもであれば谷中墓地を抜けると瑞輪寺日蓮宗)の前を通り、宗善寺(浄土真宗)の桜が美しい三浦坂を通るのだが、今日は目先を変えてスカイ・ザ・バスハウスの前を通ることにする。
この横丁は入ると左手にスカイ・ザ・バスハウス、すぐ右手に澁江抽斎の墓のある感應寺(日蓮宗)、その奥に自性院(真言宗)があり、路上まで枝を伸ばしている自性院の枝垂れ桜が綺麗なのだ。入ってみると思ったとおり美しい。
見とれながら歩いていてある「発見」をした。この横丁を奥まで見通す景色があまりに素晴らしいことを。横丁の突き当たりは金嶺寺(天台宗)というお寺にあたるが、そこには桜以外の白やピンクの花々が咲き誇っているのである。花に詳しくなく、何という名前の花なのかわからないのがもどかしい。
この時期このアングルの風景は谷中の風景ベストテンに入れてもいい景色なのではないかと思う。
興に乗って突き当たりの金嶺寺境内に入ってみた。入るのは初めてである。本堂前には田園風景といっていいほど花々と緑にあふれ、正面に不動明王が浮き彫りされた石塔が据え付けられている。しかも石塔のまわりまで緑の服が着せられたようにびっしりと葉に覆われている。緑で装飾された石塔を初めて見た。
その向かって左脇に根岸党の文人幸堂得知の句碑が建っている。帰宅後森まゆみさんの『谷中スケッチブック』4480028552(ちくま文庫)を開いてみると、得知のお墓もあるらしい。ひょっとしたらあの石塔がそれなのかもしれない。
境内入ってすぐ左には墓地があり、その一番手前に円柱形の巨大なお墓がある。そこには「高田一家之墓」と刻まれ、脇に「高田實」の文字が見える。高田實とは明治後半〜大正初年に活躍した新派俳優。「高田一家」とは何とも穏やかならぬ呼び名だが、ここに彼のお墓があったのか。これも発見だった。
これまで金嶺寺は谷中歩きのさいほとんど気にかけてこなかったお寺だった。今後季節の移り変わりで境内がどんな違った風景を見せるのか、楽しみが一つ増えた。かくして今年も桜の時期の谷中を「平成日和下駄」に書きとめることになったのである。