恥ずかしながら

ことばの花道

赤坂治績『ことばの花道―暮らしの中の芸能語』*1ちくま新書)を読み終えた。
歌舞伎など江戸の演劇に発して現代に根づいている言葉が多くある。いまや元が芸能語であったことすら忘れ去られている言葉も少なくない。本書はそうした言葉の由来を発祥まで遡って説き明かした面白い本であった。
このなかで解説されている言葉の多くは、久保田万太郎や幸田家の東京語ではないけれど、(1)初めて由来がわかった言葉、(2)由来は知っていたものの正確な意味を取り違えていた言葉、(3)正しい意味で理解し使っている言葉、に分けることができる。
当たり前に使われている言葉でも誤用していた場合があってまったく恥ずかしいのだが、このさい正直に申告することにしよう。
(1)初めて意味(由来)がわかった言葉
○きんぴら
きんぴらゴボウの「きんぴら」である。きんぴら(金平)には他に「金平娘」「金平足袋」「金平糊」といった言葉があり、いずれも「強い物」「堅固な物」を意味していたという。そのなかで現在はきんぴらゴボウだけが残ったとのこと。
○半畳を入れる
半畳とは江戸の劇場で貸し出されていた尻の下に敷く敷物のことで、芝居がつまらないとこの半畳が舞台に投げ入れられたことに由来する。
○なあなあ
「身内の馴れ合い」を指すこの言葉、もとは二人の登場人物が何かを企んで内緒話をするとき、甲が乙の耳元で「なあ」と言い、乙が「なあ」と応じる定型的演技のことを指すという。内緒話の芝居の決まり事というわけだ。転じて馴れ合って企むことを「なあなあ」というようになった。
(2)正確な意味を取り違えていた言葉
○際物
私は「きわどいもの」「行き過ぎた(どぎつい)もの」を指すと勘違いしていた。正しくは「実際にあった事件・流行などを扱った演劇・映画・小説」「流行に便乗したもの」を指すのだという。
○おクラになる
これを「おクラ入り」と使うのは本来の語源からズレた用法で、「クラ」とは「蔵」でなく「楽」の倒語、千秋楽などの「楽」を指したのだという。初日を迎える前、あるいは興行の途中で千秋楽になってしまうことを「おクラになる」と称したことが由来であるとのこと。
○さわり
「全部はお見せできないので、今日はさわりだけお見せします」というような使われ方をするので、私は「最初のほう」という意味だとばかり思っていた。あるいは上記の表現は、話し手もそのように誤解しているのかもしれない。
本当の意味は「一番重要なところ」なのだそうである。由来は義太夫節の「くどき」といわれる登場人物が切々と心情を吐露する見せ所にあり、義太夫ではこの「くどき」の部分を「他の流派の節に触る」、つまり他の流派の節を採り入れてそこに変化をつけて目立つようにした箇所という意味で「さわり」とも言うとのこと。
(3)正しい意味で理解し使っている言葉
たとえば二枚目・三枚目、捨てぜりふなどがある。これらにしても歌舞伎を見るようになったから知ったようなもので、でなければ捨てぜりふなどは違った意味合いで使っていた。
「捨てぜりふ」から思い出されるのは柳沢慎吾の名文句「あばよ」に代表されるような立ち去り際に「言い捨て」られる言葉なのではないだろうか。歌舞伎の本来の意味は「アドリブ」に近く、これは今でも歌舞伎界のなかで生きている。
上にあげたのは本書で取り上げられている言葉のごく一部であり、そのほか、より日常的に使われている言葉もたくさんある。
たとえば「調子がいい」「間違い」「間抜け」「派手」などだ。言われてみると何となく歌舞音曲に由来しているということがわかるのではあるまいか。もっとも「そんなこと当たり前じゃないか」と言われるとわが不明を恥じ入るしかない。