今度は中平康作品に注目

ブラックシープ 映画監督「中平康」伝

ときおり古本屋で目にすることがある河出文庫『ストレイ・シープ』の作者中平まみさんが、映画監督中平康の娘であることを先日知った。荻窪ささま書店で見つけた中平まみ『ブラックシープ 映画監督「中平康」伝』*1ワイズ出版、以下中平伝と略す)は、娘による父へのオマージュである。
書名に「伝」とあるが、評伝というには、あまりにも偏りすぎている。中平監督は結婚10年で妻と娘を捨て、新しい女性と暮らした。まみさんはその後妻を「女」とだけ呼び、実父がアル中のごとく酒におぼれたすえ52歳の若さで亡くなった原因を彼女に帰している。監督没後の著作権をめぐるゴタゴタも関係しているらしい。
監督の私生活だけでない。実験的野心的で映画表現の可能性を追求しつづけた作品群が正当な評価を受けず、不遇でありつづけた父の公的生活にも納得していない。公私にわたる父娘の怨嗟が本書には充ち満ちている。贔屓の引き倒しをおそれず、一作一作娘の視点から父の作品の復権を試みている。
まっとうな評伝とは言えないものの、石原まき子(北原三枝)・宍戸錠吉永小百合ら出演俳優をはじめ、当時のスタッフに取材し、また同時代の映画評、監督自身の自作解説(『キネマ旬報』1962年春の特大号収載「中平康自作を語る」)・エッセイなどが、ときに著者自身の文章と見まごうほどの混乱をみせつつ縦横に引用され、モザイクのように組み合わされて読者に提供されている。巻末の詳細なフィルモグラフィと、監督のエッセイ・評論を全文掲載した第三章とあわせ、ガイドブックとしての資料的価値はすこぶる高い。
ところで中平康という名前を強烈に印象づけられたのは、濱田研吾さんの『脇役本』*2(右文書院)を読んだときだった。菅井一郎に触れた一文のなかで、中平監督が菅井を出演途中の映画から降板させ、それに対する菅井の怒りの文章が引用されている。

映画の監督というものは、役者を、虫けらなんかを踏みつぶすような仕方で、侮辱してよいものなのか。私は、四十年だ五十年だということの、無意味さを中平君によっていやという程、思い知らされた。(濱田書165頁、原文は『映画わずらい』六芸書房)
今回『中平伝』を読んだところ、降ろされた映画が1958年の「その壁を砕け」(脚本新藤兼人)であると書かれてあった。弁護士役だった菅井の代わりに芦田伸介が起用された*3という。降板をめぐって、著者の母が目にした光景がなまなましく書きとめられている。
母は菅井さんが家に来て、父に役をおろさないでくれ、と土下座をしてたのみこんでいる姿を見ている。「お願いします。奥さんからもおっしゃって下さい」と言われ、大変つらかったそうだ。(109頁)
菅井一郎が主演し中平が監督した傑作の誉れ高い「殺したのは誰だ」は、つい一年前に制作されたばかり。そうした縁の浅からぬベテラン俳優を冷酷に切る。読んでいて居たたまれなくなった。著者はここに「こと仕事に関しては冷酷無比、酷薄であった」という父の一面を指摘する。もっとも周囲の複数のスタッフの証言では、弁護士役の菅井はミスキャストだったと認識されているから、あながち菅井にだけ同情を寄せることもできないのかもしれない。
ほかにも本書には興味深い挿話が多い。先日読んだ安岡章太郎さんの『僕の東京地図』のなかで、父が安岡少年を青南小学校に入れたいがために青山に居を構えたとあったが(→5/26条)、中平家の場合、教育熱心だった祖母が、孫(中平康)が滝野川で生まれたにもかかわらず、誠之小学校に入れるため出生地を本郷西片町と届けたとある。のち康は東大哲学科に入るのである。
またデビュー作「狙われた男」の項では、夜は銀座ロケ、昼はセットで撮影とあったことに触れ、「この頃の銀座は映画ロケのメッカで一日に何本もぶつかって混乱するので、日・祭日以外の昼間はロケが禁止されてしまった」とある。日活調布撮影所につくられた銀座の「パーマネントセット」は、中平監督はが銀座ロケを好み、セットも細部に凝って費用がかさむためという説があるらしい。
川島雄三作品と同じように、これまでわたしの観た中平作品をあげてみる。

  • 「殺したのは誰だ」(1957年)
  • 「あした晴れるか」(1960年)
  • 危いことなら銭になる」(1962年)
  • 「黒い賭博師 悪魔の左手」(1966年)

『中平伝』を読むと、わたしの観た4作品(少なくとも上の3作品)は中平作品のなかでも高い評価を受けているものであることがわかった。新藤脚本・菅井主演だからとか、芦川いづみ主演だからとか、都筑道夫原作だからといった別の動機でこの映画を選んで観たのに過ぎないのだけれど、結果的にうまい選択をしたものだと嬉しくなる。
そしてさらに、観たい中平作品がたくさん出てきて困った。石原裕次郎主演の「紅の翼」「あいつと私」は、来月チャンネルNECOで放映されるから楽しみだが、そのほか、轟夕起子大坂志郎の組み合わせの「才女気質」、三島由紀夫原作の「美徳のよろめき」、菅井が降ろされた「その壁を砕け」、原作者伊藤整から褒められた「誘惑」、小林信彦さんが絶賛する「牛乳屋フランキー」、永井龍男原作の「街燈」などなど、まだまだ面白い作品がありそうなのだ。
永井龍男原作の「街燈」については、ほぼ原作どおりのシナリオができたときに、原作者との間で一悶着あったらしく、そのエピソードがとても面白い。

永井さんの原作が傑作なので、随分気を入れてやったつもりなのに、本が出来たら永井さんが、台詞が気に入らぬと言っているという。原作通りなんだがな、と言ったら、いやシナリオでは原作と句読点が違っている。丸が点に直してあったりする、と言うんです。永井さんにうかがったら「僕は文章の区切りを点にするか丸にするかで三十分位は考える」と言われる。ちょっとびっくりしました。(80頁)
収載されている本作品のスチール写真は、主演月丘夢路が昨日亡くなった岡田真澄を見つめている場面である。解説の文章を読むと、あるいはこの映画が岡田真澄の代表作の一つとなりうるのかもしれない。
大正15年(1926)生まれの中平監督は今年が生誕80年の節目にあたる。どこかで特集上映をしてくれないものか。

*1:ISBN:4898300103

*2:ISBN:4842100559

*3:『映画わずらい』では代役は信欣三とあるらしいが、これは誤りだとある。