30年経っても色褪せぬ歌

日曜日は歌謡日

このあいだ観た川島雄三監督「銀座二十四帖」では、森繁久彌が「ムービージョッキー」としてナレーションを担当していた。それだけでなく、森繁さんはこの映画の主題歌「銀座の雀」も唄っている。観てから数日経つが、いまなおメロディが頭に残る印象深い歌だ。川本三郎さんは『銀幕の東京』の「銀座二十四帖」を取り上げた一章で、和田誠『銀座界隈ドキドキの日々』からこの歌に触れた一節を紹介している。
和田さんは「銀座の雀」がお気に入りらしい。別の著書『日曜日は歌謡日』*1講談社文庫)のなかでもこの歌を取り上げている。本書は一回につき一人の歌手とその人の歌を取り上げ、その歌に関する思い出や印象、歌詞分析など、意表をつく視点から流行歌の魅力に切り込んだ楽しいエッセイ集で、原則として一度出た歌手は取り上げないので、全60回計60人の人が登場する。一篇のエッセイにはその歌を唄っている情景がイラスト化され、添えられている。イラストレーター・エッセイスト和田誠さんの魅力を味わえる一冊だ。
このなかで和田さんは森繁さんの歌として「銀座の雀」をセレクトし、次のように書いている。

この映画(「銀座二十四帖」―引用者注)のためにつくられた歌なのかどうかぼくは知らない。たぶんもっと前から森繁が持ち歌として愛唱していたものだろうと思うのだ。
 というのも、この人でなければならぬほど実にぴったりの歌だからである。
「たとえどんな人間だって心のふるさとがあるのさ/おれにはそれがこの町なのさ」
 というのがこの歌の出だしである。歌詞というよりセリフに近いと言ってもいい。森繁はそれを絶妙に「語る」のである。(31頁)
そしてこの歌を森繁節のベストと断ずる。たしかに前述のように「銀座の雀」は耳にいまなお残り、ある意味映像よりインパクトがあったかもしれない。あの映画にとらえられた昭和30年前後の銀座の町の風景とともに、森繁さんの「銀座の雀」を聴きたいがために市販DVD*2を買っても損をしないように思われる。
ところで本書については、谷沢永一向井敏両氏の読書対談『読書巷談 縦横無尽』*3講談社文庫、→2005/9/5条)のなかで、二人揃って大絶賛の声をあげている。
「これはよくできた本で、戦後三十年間の日本の歌謡曲と流行歌手をほとんど網羅していて、その良さと飽き足りなさ、それにこんなふうな読み方、いや聞き方はどうだろうといったことをじつに簡潔にまとめている」(向井)、「これは空前のものですね。だいたい歌謡曲というもをまっとうな議論の対象にしたものがまずない」(谷沢)、「巧まずして日米文化比較論にもなっている」(向井)、「知ったかぶりの歌謡曲批判や、単なる歌謡曲礼賛とはまるで違う本」(同)といった入れ込みようである。
本書は1975年に報知新聞日曜版に連載され、翌76年に単行本として出版、10年後の1986年に講談社文庫に入った。上の向井さんの「戦後三十年間」云々というのは、そういう意味である。そうではあるけれども、山口百恵森昌子岩崎宏美ダウンタウン・ブギウギ・バンド子門真人など、そのときにヒットした曲やトップアイドルにも目配りが行き届き、不易の流行歌(歌手)に傾いて取り上げていたわけではない。
現在、本書が刊行されてさらに30年(文庫化から20年)が経過した。取り上げられているラインナップをあらためて眺めると、まったく色褪せていないのだから驚くほかない。物故者も含めれば、美空ひばり・森進一・ペギー葉山水前寺清子かまやつひろし野口五郎北島三郎由紀さおり坂本九・森山良子・布施明山口百恵加山雄三小柳ルミ子石原裕次郎和田アキ子森昌子五木ひろしビートルズ岩崎宏美都はるみ井上陽水加藤登紀子沢田研二などなど、歌ともどもいまなお愛唱されているものばかりではないか。
75年といえばわたしはまだ小学校に入ったばかりの頃で、本書を読んでその頃聴いた歌謡曲を懐かしく思い出した。ちあきなおみ喝采」の歌詞を大まじめに分析して、「つまり、現在、過去、大過去が入り混じって歌われるわけで、フェリーニの映画を見るように高踏的」と結論づけられるあたりなるほどと深く感心してしまった。メロディ優先で歌詞の意味などまったく考えていなかった(わたしの歌の受容の仕方は全般的にそういうものだ)のである。
野口五郎のヒット曲「私鉄沿線」に接し、田舎住まいの子供にはさっぱりイメージがわかず、「シテツエンセン」という曲名から「デンセン」を連想し針金状の金属物質をイメージしていたことが懐かしい。藤圭子の「圭子の夢は夜ひらく」に自分の名前が含まれているので、流れるたび不愉快な気分になったこともあったなあ。
文庫版あとがきに触れられているが、カラオケブームは元版刊行よりあとのことだ。布施明の「シクラメンのかほり」について、「憶えやすいように思えて、実はシロウトが歌うにはむずかしい歌である」と書かれている。カラオケは普及していないものの、当時は生のギターかピアノを伴奏に、「マイクなど置いてある酒場」でシロウトは唄っていたのである。こういう風俗の違いを知る喜びもある。