着物への共感

着物あとさき

青木玉さん待望の新著『着物あとさき』*1(新潮社)を読んだ。同じく「着物」について書かれた『幸田文の箪笥の引き出し』(新潮文庫)同様、ふだん和服と縁がない生活を送り、今後もたぶん無縁のまま一生を終えるかもしれないわたしにとって、複雑な思いにさせられた本だった。
いま述べたような立場の人間がこうした本を読むことは、和服に関するあれこれを知識として吸収することにほかならない。結局「ああ、和服の世界って、いいなあ」というところに落ち着いてしまうのである。でも、ふだん着慣れている人にとってはあたりまえの感覚に過ぎないことを一々感動することに躊躇をおぼえる。「和服の世界って、いいなあ」と憧れを持つところまでで、実践に至らないような人間が、青木玉さんの世界(ひいては幸田文の世界)を語っても、所詮空虚に聞こえるに違いない。
あとがき代わりの講演記録「「きもの」のことなど」に印象深いエピソードが紹介されている。玉さんの母幸田文の代表長篇『きもの』は未完のまま中断していた。後篇の執筆を望む玉さんに母親はこう語りかける。

娘だから親の書いたもののことを気にかけてくれるのは、何も考えないで知らん顔をしていられるよりは嬉しいけれど、今、着物を着ている人を見ることは殆どない。これから先も増えることはないと思う。着物の楽しさ、美しさ、面白さをいくら書いたとしても、実際着る人がなければ、話はそれまでじゃないか。「きもの」を書いていた時は、まだ互いに通うものがあったけれど、時間がたつにつれて、楽しむどころか、どんどん遠くなってしまった。共感がなければ、誰も読まないよ。(182頁)
着物離れに対する動かしがたい諦念によって、惜しくも『きもの』はそのまま残された。もっともそれだけでも十分面白い小説ではあるのだ(旧読前読後2002/11/28条)。しかし幸田文は諦めるのが早すぎたと言えないか。その精神を受け継いだ娘青木玉さんの文章は、実際縁のない人間にも共感を生じさせることを可能にしているから。
「着物の楽しさ、美しさ、面白さ」が玉さんの文章からストレートに伝わってくる。祖父露伴が着ていた黒羽二重の羽織が見事な「墨流し」「霜降り」と呼ばれる柄の着物に生まれ変わった。母文が作らせたのだが丈が長すぎて着ないまましまいこまれていた「明るいねずみの地に、白の篠梅が肩、前身、裾まわりに描かれて、地味ではあるが上品な優しさを感じさせる着物」が、地色を染め変え、「梅の季節はお正月から二月いっぱい。寒い最中なので寒色系は避けて、暖か味のある朱鷺色を掛け」るという、柄にも配慮したやり方で、孫娘の青木奈緒さんが着るにふさわしい色合いによみがえった。
本書は、着物再生の現場を玉さんが自分の目で確かめるルポルタージュ的報告を通して、「着物の楽しさ、美しさ、面白さ」の精神を伝える内容となっている。着物の知識が皆無なわたしのような人間にも、前の『幸田文の箪笥の引き出し』同様、「着物の栞」という一口メモが付いており、言葉だけ知っていた「繻子」「綸子」「お召」「銘仙」などの違いを簡単に解説してくれている。いっぽう、洗い張り*2のとき生地の両端に弓なりにひっかけてピンと生地を伸ばす「伸子」(しんし。「のぶこ」ではない。ATOKには登録されている)という竹ひごのような細い串のことは、本書で初めて知った。この本を読まなければ一生知らないままだったかもしれない。
前記した『きもの』のエピソードもそうだが、本書で語られる幸田文の思い出話を読むと、幸田文のきりりとした心持ちが自分のだれきった心を引き締め、幸田文を読みたくさせるのである。娘の結婚が決まった日、母は電話を取って、着物のこと一切を引き受けていた呉服屋さんに、喪服を作りたいから紋帳と生地を見たいと伝える。このときの呉服屋と母幸田文のやりとりの気合いがすばらしく、映画の一場面を観るようにイメージされる。
繁ちゃん(呉服屋さんの名前―引用者注)は急いでやって来た。突き膝のまま、「喪服の御用とおっしゃいましたが、どちらか御不幸がおありでしたか」と、用を聞いたらそのまま駆け戻って手配をする心算でいる。
「急がせて悪かったわね。不祝儀じゃなくて喜び事なのだけれど、一番先に喪服から作ろうと思ってね。喪服は当てなしに作るものじゃない。でも、お嫁さんの着物より先に、決っているものから用意をはじめないと、喪服はどんどん後廻しになって、いい加減な頼み方をするのは嫌だから」と母は機嫌よく笑顔でいた。繁ちゃんの表情がぱっと晴れて「よろしゅうございました。玉子さんのお仕度ですね」と、こちらに向き直って「お目出度うございます」と挨拶した。(120頁)
話し言葉の鮮やかさ、そこから伝わる幸田文の心構えの涼やかさはむろんのこと、喪服と聞いて突き膝で用を伺う繁ちゃんの対応、「喜び事」「お嫁さん」と聞いて一転、「お目出度うございます」と挨拶する機転の妙、たとえ着物はリバイバルしたとしても、その中味はとてもこのようにリバイバルできないだろうと思わせ、ひとときその世界に浸ってみたいと願わずにはいられなくなる。

*1:ISBN:4104052035

*2:いまATOKで「あらいばり」と打って変換しようとしても、そのまま変換されなかったから、この言い方はすでに一般的でないということなのだろう。