帝銀事件と筆跡鑑定

角川文庫から、松本清張の二長篇が新装版で刊行された。『落差』(上・下)と『小説帝銀事件だ。いずれもカバー装幀は西口司郎・多田和博コンビで、新潮文庫の清張シリーズと共通する雰囲気(その他横山秀夫さんの本も思い出す)に、思わず手が伸びた。
「日本史教科書編纂の分野で名を馳せる島地章吾助教授は、学会で変わり身の早さと女癖の悪さで名を知られていた」と、わたしのような立場の人間にとっては何とも魅力的な内容紹介のある『落差』は二分冊だから、年末年始の楽しみにとっておくことにする。そこで分量的にも300頁足らずと手ごろな『小説帝銀事件』のほうを読み始めた。ずっとむかし読んだことがあるような気がする。中学生か高校生の頃の話。いわゆる「三億円事件」など、迷宮入りの謎の事件というものが大好きな年ごろだった。
昭和23年1月26日、閉店直後の帝国銀行椎名町支店に東京都の腕章をつけた男が訪れた。男は近くで集団赤痢が発生したためその予防薬を服んでほしいと行員たちに巧みに語りかけて、青酸カリを服ませて12人を死亡させ、お金を奪って逃げたという、終戦直後の混沌とした世の中を象徴するような大事件だ。
帝銀事件」という四文字の字面はいかにもまがまがしい。犯人として逮捕され、死刑判決が下ったものの、執行されぬまま病死した画家平沢貞通氏が、ものごころついた年齢になってなお存命だったので、帝銀事件は過去になっていなかったのだ。平沢氏は1987年5月10日に亡くなっている。横溝正史の『悪魔が来りて笛を吹く』のモデルにもなったことが、事件のまがまがしいイメージを増幅させているのに違いない。
保阪正康さんの文庫版解説によれば、松本清張は本書において帝銀事件の謎に取り組んだものの、なお納得せず、のちに『日本の黒い霧』として結実する連載のなかでもう一度帝銀事件を取りあげたという。
たしかに『小説帝銀事件』では、もっぱら平沢氏が疑惑に満ちた人物として警視庁の捜査線上に浮かび、挙げ句の果てに証拠不十分ながら逮捕されて犯人に仕立てられてゆく経緯、自白優先主義の旧刑事訴訟法最後の悲劇的事件という歴史的位置づけの描写に軸足がおかれている。犯人が平沢氏でなければ誰なのか、背後にちらつく進駐軍の圧力という部分もほのめかされてはいるけれど、消化不良の感も否めない。『日本の黒い霧』などにおける「陰謀史観」を知っている立場からは、意外に手ぬるいという感じなのだ。
たぶん初読のときもそうだったと思うが、数少ない物的証拠のひとつである犯人が提示した名刺から平沢氏に行き当たるまでの執念深い捜査、また犯行時間などの平沢氏のアリバイ、動機をめぐる人間関係など、こみ入っていてなかなか頭に入ってこない。ミステリ好きではあるが、“アリバイ崩し”のような緻密な論理構成が主題となる分野は苦手であり、すんなり理解しがたいのである。
ところで、犯人が銀行から奪った小切手を翌日振り出したときに書かれた署名も有力な証拠となった。この署名の筆跡鑑定をめぐり、弁護人側から要請された鑑定人の顔ぶれに一驚する。

これは後のことだが、弁護人側は、更に民間の専門家による筆跡鑑定を地裁に申請し、その結果、東大の史料編纂所の龍粛、高橋隆三の両講師、同文学部の宝月圭吾助教授と京都立命館大学の林屋辰三郎教授、元京大教授の中村直勝博士、慶大の伊木寿一講師にそれぞれ鑑定を依頼している。(117頁)
何と何と、わたしの職場の大先輩たちのみならず、いまでもなお史学史に名前を残す大先生たちが帝銀事件に駆り出されていたとは。伊木鑑定人のみ小切手の筆跡と平沢の筆跡は違うと主張し、その他は似ているという判断だったという。しかも史料編纂所の龍・高橋両先生の場合同一であるとまで鑑定している。
松本清張「これらの大学の先生たちはいずれも古文書学の研究家であって、和紙墨書の鑑定が本来の専門である」と書いているとおり、ペン字の筆跡鑑定を依頼するなどどだい無理な話。そういう分野が成熟していなかったゆえとはいえ、“東大の権威”が公判の展開に一役買っているのは、時代が時代だったということだろうか。
かつては帝国銀行椎名町支店と聞いてもピンと来なかった。でもいまは違う。恵比寿の東京都写真美術館に行った帰りに、山手線を目白で降り、椎名町を目指した。椎名町といえばトキワ荘。でもわたしの頭の中は「帝銀事件モード」である。
椎名町という地名は、西武池袋線の駅名でしか残っていないらしい。住所は豊島区長崎である。文学散歩のサイトとして著名な“東京紅團”椎名町支店の住所を教わり、かつて支店があったという場所におもむいた。この支店は、『小説帝銀事件』によれば、「質屋の店を銀行が買って支店にしたもので、石造りの倉を除けば、木造二階建てのふつうの住宅と見かけは変らなかった」という。椎名町駅前のにぎやかな商店街と長崎神社の間に挟まれた一角。写真美術館で観た木村伊兵衛の写真ばりに、モノクロでスナップを撮る。

近くに質のいい本を揃えた古本屋さんがあった。わたしより先に会計を済ませた老人が「最近こういう古本屋さんがどんどんなくなってねえ」と店主に語りかけていたのを耳にして、内心深くうなずく。「あの帝銀事件の現場」を訪れたという高揚感も手伝って、佐藤忠男『映画館が学校だった』*1講談社文庫)や、石川淳丸谷才一大岡信・安東次男『歌仙』青土社)などを購う。いまも丸谷さんと大岡さんが続けている歌仙の出発点がこの本なのか。滅多にお目にかかれない本である。
小説帝銀事件 新装版 (角川文庫)落差 上 新装版 (角川文庫)落差 下 新装版 (角川文庫)