ツイッター効果

高校殺人事件

しばらくのあいだ、読んだ本について書く余裕がなかった。余裕をなくさせている環境はまったく変わっていないのだが、こんな状態にだんだんと我慢ができなくなってきた。震災、というのもひとつのきっかけだったかもしれない。
また、先日からNHK-BSプレミアムではじまった山田洋次監督セレクションの映画特集にて、「東京物語」「二十四の瞳」を観たのも刺激になった。何かを感じ、感じたことを書きたい、そんな気持ちがふつふつと沸いてくるようになったのだ。
その少し前からツイッターを始めてみたが、そこで買った本、読んだ本について、短文ながら書いたことも、いい“リハビリ”になったとおぼしい。ツイッターが制限する140字では書き足りない思いが、頭のなかに浮かんできたのである。
先日来電車本として読んでいたのは、松本清張高校殺人事件*1光文社文庫)だった。
本書は帯に松本清張唯一の「青春推理小説」」という惹句が書かれてある。作品データを見ると、1959年11月から60年3月まで『高校上級コース』に、60年4月から61年3月まで『高校コース』に連載されたという。原題は『赤い月』。61年12月に光文社カッパノベルスから刊行。
たしかに高校生が読む雑誌に連載され、また主人公も高校生たちである。ただ、「青春」ということばから連想されるような、恋の甘酸っぱい雰囲気はまったく感じられない。たんに高校生たちが事件に巻きこまれる、という意味での「青春」にしかすぎない。だから、『高校殺人事件』というタイトルもあまりに無味乾燥すぎる。原題の『赤い月』にしても、作品内容をただちに暗示させるほどのことばではないけれど、そういう象徴的な書名であれば、松本清張お得意の路線である。だから原題のほうがよっぽどいい。
ただ、内容はけっこう面白い。松本清張には珍しく謎解きミステリになっているのである。高校生たちが、同級生や先生が殺された事件の犯人を推理するという、真っ正直な謎解きになっている。
道具立ても清張らしい。舞台は武蔵野。そして謎の中心にあるらしいのは戦争。発表されたのは戦争が終わってから約15年後のこと。この作品の読者として想定されたのはすなわち、ちょうど敗戦の時期に生まれた若者たちであることが興味深い。これを雑誌でリアルタイムで読んだ高校生たちは、謎が戦争にあるらしいという話に、どの程度のリアリティを感じながら読んだのだろう。
もとより戦後の日本ミステリには、戦争のなかに謎が仕掛けられた作品がけっこうある。横溝正史の『獄門島』しかり、『犬神家の一族』しかり。松本清張であれば『遠い接近』を思い出す。もっとあるはずだが、いま思い出せない。
たぶん松本清張は、高校生を読み手に想定したミステリを書くにあたり、自分の得意分野(武蔵野・戦争)をフル活用して、軽く書き流そうとしたのではないか。文藝春秋編『松本清張の世界』*2(文春文庫)所載の年譜を見ると、まさにこの時期は執筆活動旺盛のきわみにあり、『小説帝銀事件』『黄色い風土』『波の塔』『霧の旗』『黒い福音』「天城越え」といった代表作が生み出されている。またこの年の記事には次のように記されている。

執筆量の限界を試してみようと思い、積極的に仕事をする。その結果、この年なかば以後書痙にかかる。そのために原稿は口述、清書されたものに加筆するという方法をとり、速記者福岡隆を約九年間にわたって専属とした。
まさに『赤い月』こと『高校殺人事件』が書かれた頃は口述筆記による執筆になっていたわけで、これが『高校殺人事件』のばあいうまい方向に作用したといえそうである。