アリバイ崩しのむずかしさ

憎悪の化石

鮎川哲也さんの『憎悪の化石』*1(角川文庫)を読み終えた。本書は、『黒い白鳥』*2創元推理文庫)とともに日本探偵作家クラブ賞を受賞したということで、その意味ではこの二作がおなじ年(1959年)に書かれたのは奇跡的である。
容疑者のアリバイを自らの足でこつこつと調べて回る刑事たちが主人公だからか(そういうミステリだからか)、1959年、ひいては昭和30年代という世相を感じさせる描写が多く、読んでいてとても面白い。
殺人事件の被害者は独身で、一時期大阪にいたことがあるという。被害者の身辺から犯人を割り出すため彼の女性関係を洗おうとする。そこで「もし必要ならば大阪警視庁に調査を依頼しよう」という言葉。警視庁とは東京都警察のみを指すことばのはずと訝って調べると、戦後1947年に置かれた大阪市自治体警察大阪市警察局が1949年に大阪市警視庁と改称し、全国の自治体警察が廃止される1954年まで存続したという。時代考証に厳密にいえば、したがってこの長篇の時間的舞台はこの期間に限定されることになる。
熱海署の刑事たちが東京に捜査に行くとき、熱海始発東京行の湘南電車に乗り込む。そのとき老刑事は、座席をとろうと殺到する団体客につきとばされてホームから転落しそうになり「今日はついてなさそうだ」と苦笑する。そんな観光地の光景。そして前回関川夏央さんの『昭和三十年代演習』のときも書いた、都電や隅田川の悪臭に対する悪態ともいうべき批判。
またたとえば、戦災をまぬがれた地域に対するまなざしもいまとなっては貴重である。

天神下でおりた。このあたりは大正の震災にも今度の空襲にも難をまぬかれて、むかしのままの様子をのこしているといわれている。鷗外の「雁」の舞台がこの裏側あたりであり、お玉が住んでいたようなしもたやが一帯に軒をならべているという話を、伊井はなにかで読んだ記憶がある。(88頁)
彼が焼けた家や椎の大木を思い出したのは、千駄ヶ谷のあちらこちらにまだ空襲のあとがそのまま残っているからである。東京のどこもかしこも復旧がなり、なかには戦前以上ににぎやかになった場所も少なくないのに、この一帯に、忘れられたようにとりのこされた地点があるのがふしぎであった。そして、それよりもなおふしぎなのは、戦前は上品な邸宅街として知られたこのあたりに、いわゆる温泉旅館というものがニョキニョキと建って、いまでは千駄ヶ谷ときくと連れこみ宿を連想するほどになったことだった。(101頁)
この湯島や千駄ヶ谷に対する感慨を抱く伊井刑事は、戦前「旧都内」に住んでいたから、戦後の東京の変貌ぶり(あるいは不変ぶり)に鋭く反応する。
先の引用のように、伊井刑事は湯島天神下を訪れたとき鷗外の「雁」を思い出す。別の場面では、別の刑事が築地の水上署を訪れたとき、「杢太郎の作品をよんで、明治時代のこのあたりに異人館がたくさんあったことを彼は知っている」と感想を洩らす。鷗外といい杢太郎といい、刑事もたくさん文学作品を読んでいる。これもまた『昭和三十年代演習』の話だが、関川さんは松本清張の「張込み」に触れ、そこで若い刑事(映画では大木実)が佐賀まで向かう汽車のなかで「文庫本の翻訳の詩集」を読むことに驚いている。文学趣味というより、この時代はこうしたことがあたりまえだったのだろう。
ところで本書は帯の袖にアリバイ崩しのミステリであることが紹介されている。解説に先に目を通そうとしてめくろうとしたら、巻末附録として時刻表が掲載されていた。犯人が鉄道を利用したアリバイを主張している人物であることを暗示(というより明示)しているではないか。そんな大それたことをしてしまっていいのだろうかと、筋を追う興味をなかば失いかけたが、心配ご無用。なるほどというひねりが加えられており、さすが鮎川さんと思わせる。