槐多、洲之内、万太郎

村山槐多展で印象に残ったことは絵のほかにもある。次の詩だ。

どうぞ裸になってください
うつくしいねえさん
どうぞ裸になって下さい
まる裸になって下さい
ああ心がをどる
どんなにうつくしかろ
あなたのまる裸
とても見ずにはすまられぬ
どうぞ裸になって下さい
なんというこの直截的な表現よ。裸婦を描いた油絵やスケッチも多く展示されていたが、情熱的なまなざしをもって一心不乱に描きつづける槐多の姿が目に浮かぶようである。扇情的にして官能的な世界に陶酔する。講談社文芸文庫版『槐多の歌へる』には収録されていなかったのが残念。
槐多の著作や、槐多のことを取り上げた関連書籍も展示されていた。そのなかに、洲之内徹さんのセザンヌの塗り残し』(新潮社)を見つけた。「あれ、洲之内さんも槐多を論じていたっけ」と訝しみ、帰宅後さっそく本を開いてみたのはいうまでもない。
セザンヌの塗り残し』を開いてまず驚いた。口絵のカラー写真として、わたしが展覧会中一点選ぶならこれと決めた「片貝風景」が載っていたからだ。同書のなかで槐多については、「村山槐多ノート(一)」「村山槐多ノート(二)」「大正期の画家の青春―村山槐多と柳瀬正夢(「洲之内徹の心情美術史」のうち)」の三篇にわたって取り上げられている。
「村山槐多ノート(一)」で洲之内さんは、槐多を好きな理由として、「槐多のあの、比類のない対象把握力の強さ」をあげる。このエッセイは、槐多の新発見作品「差木地村ポンプ庫」をめぐる話が中心になっている。山形県酒田市にある本間美術館の佐藤七郎さんが発見したのだそうで、槐多の祖父が山形県出身であることを知り、いちだんと親しみを抱いた。
さて槐多の対象把握力ということについて、洲之内さんは先に引用した「どうぞ裸になって下さい」の詩句を引き合いに出す。洲之内さんが依拠したのは元版の『槐多の歌へる』であるとおぼしく、上記引用の2行目が、「美しい□□□□」と伏字になっているのがますます想像力をかき立てる。この詩句に見られる「獣のように単純で直接的な、躊躇うことのない槐多の眼差し」が、画家槐多の眼差しに通じあうという。
「片貝風景」もまた、山形県内の某家から見つかったものだという。「大正期の画家の青春―村山槐多と柳瀬正夢」のなかで、槐多と柳瀬の交友関係について触れられているが、この「片貝風景」の画趣は柳瀬正夢の絵をも思い出させるものがある。
そのまま興に乗って『セザンヌの塗り残し』のあちこちを拾い読みした。クロスの手ざわりがとてもよく、手のひらで書物の感触を味わいながら、洲之内徹の文章を読む。贅沢な時間である。巻末にまとめられた「洲之内徹の心情美術史」は、「芸術新潮連載百回記念」と銘打たれていて、一回分の分量より多少短いものが七篇連なっている。前記「大正期の画家の青春―村山槐多と柳瀬正夢」はそのうちの一篇だったわけだが、この連作の冒頭は、わたしも大好きな長谷川利行を取り上げた「油絵で描く日本的心情―長谷川利行の「今」」という文章である。
そのなかで、木村東介氏との対話からヒントを得て、長谷川利行の絵と久保田万太郎の俳句を対比させ、利行の絵は俳句的表現にほかならないと論じている。
俳句の言葉は、一つ一つにではなく、言葉と言葉の間隙に意味がある。そして、長谷川利行の表現がこれだと私は思うのだ。文字の代りに、色や線という、いわゆる造型言語によってそれをやっている。(315頁)
久保田万太郎の湯島女坂時代の句がいくつか紹介されているが、最初にあげられていた句に深い共感を抱かずにはいられなかった。
寒 き 日 や こ こ ろ に そ ま ぬ こ と ば か り
なんとも現在のわたし自身の感慨に似ていることか。「心にそまぬ」「意にそまぬ」ことの多さよ。まあそれはそれとして、洲之内さんのエッセイで万太郎俳句に出会えた嬉しさに、今度は久保田万太郎全句集』を取り出して「寒き日や」の句を季題別全俳句集のなかに探そうとした。偶然だが、『久保田万太郎全句集』と洲之内さんの「気まぐれ美術館」シリーズ単行本元版は、ある書棚の天板上に隣同士に並んでいるのである。
「寒さ」を季語にした万太郎の句は多い。万太郎の句味と冬という季節は実に相性がいいのである。山口瞳さんではないけれど、上五句に「時雨るや」をつければ、あとは何であっても俳句っぽくなるのと同じで、下五句に「寒さかな」をつけても俳句っぽくなる。上に何をもってくるか、そこに万太郎の良さがあるのだろうが。
たとえば次の四句。
ま た 人 の 惜 ま れ て 死 ぬ 寒 さ か な
東 京 に ゐ て 鎌 倉 の 寒 さ か な
猫 ど も の う へ お も ふ だ に 寒 さ か な
口 も と に 愛 ふ か ゝ り し 寒 さ か な
上から横光利一久米正雄木村荘八古川緑波の追悼句である。亡き知友を悼む句に寒さは似合い、またそれを詠む久保田万太郎の、いかにもマフラーが似合いそうにない猪首姿にも寒さは似合う。