洲之内本は最後の砦

洲之内徹 絵のある一生

昨夜神保町へ出る所用があったので、まず神保町シアターに立ち寄り、特集上映「映画の昭和雑貨店2」に寄せて編者川本三郎さんが書いた小冊子「卓袱台のある暮しから明日を夢見ていた頃」をもらってきた。
そのあと東京堂書店に向かう。一冊購入。これはいずれ読んでから記そう。最近疲れのゆえか体調にちょっとした不安を抱えているのだけれど、東京堂で新刊書を眺めているうち鬱陶しさが吹き飛んでしまう。
東京堂ではもうひとつ目的があった。洲之内徹さん没後20年を記念して出された『気まぐれ美術館』シリーズ6冊セット*1がどんなものなのか確かめたかったのである。書籍部で入れてくれないのはわかっている。買うかどうかは実物を見てから決めたかったのだ(→10/1条)。いや、購入したいという気分は決定というべきほどまで高まっているから、買うまでに必要な通過儀礼として、実物を確認したかったのだ。
一階の新刊コーナーにはなく、でも東京堂に入っていないはずはないと、珍しく三階の美術書コーナーをのぞいて、ようやくこのフロアのレジのところに置かれていたセットを見つけた。店員さんにお願いして輸送函を開けてもらい、なかを確認する。
予想どおり表紙装幀はクロースではなく紙装になっていたが、統一された意匠と6冊それぞれ異なる色合いの表紙に動かされる。本を開いてみると、『絵のなかの散歩』から『セザンヌの塗り残し』まで4冊の旧版は活版だったのに対し、写植に変わっている。つまり中味は同じでも版面の印象が違っていたわけで、そうなればまた別種の本のおもむきで…なんて、購入に向けてはずみをつける。
新潮社のセット物と言えば、『三島由紀夫戯曲全集』や『カフカ全集』などを購入したことがあるが、これらはいまやセット函を開けることすら稀で、そもそも実家に預けている。没後20年記念のセットなどと言われると、買いたいという方向に無意識に動機づけしてしまう悲しさ。
ともかくそれより先に、同じく没後20年を記念して出された新刊洲之内徹 絵のある一生』*2(新潮社とんぼの本)を読もう。以前書いたように、『芸術新潮』1994年11月号(わたしは古本で入手)の特集を再編集・増補したものだが、この機会に再読する。
疲れて気分も鬱ぎがちななか、洲之内さんの本を手にしていると不思議と気分が落ち着く。寝るとき枕元に洲之内さんの本を置いておけば安眠が保証されるような気がする。ストレスで押しつぶされ、自分を見失いそうになっても、自分には洲之内徹さんの文章が最終ラインの逃げ道、救いの手としてあると、最近思うようになってきた。そんな熱烈な洲之内ファンとは言えないけれど、なぜか最後のよりどころに洲之内さんの本があると思うと心が静まるのだ。
本書に収められた丹尾安典さんの「帰りたくない風景」という一文に、『帰りたい風景』からこんな文章が引用されている。

芸術というものは、生存の恐しさに脅え、意気阻喪した人間に救済として与えられる仮象だと、私は考える。生存に対する幻滅なしには、真の芸術への希求もない。恐怖が救済を約束する。美以外に人間をペシミズムの泥沼から救ってくれるものはない。
わたしの場合、この文章の「芸術」「美」をそのまま「洲之内さんの本」と置き換えられる。体調不安その他もろもろの理由による「生存の恐しさ」に救済として与えられる仮象。洲之内さんの文章こそが、われをペシミズムの泥沼から救ってくれる。
面白い本を読むと、同好の士に勧めたいし、同じ本のことで語り合いたい。でも洲之内さんの本に限っては、ひとりで味わって読みたいと思うのも、この自分の洲之内さんの本に対する価値観と関係するだろう。
だいたいわたしのまわりに(というのは同業者にはという意味)洲之内徹を読む人なんていないだろう、誰も洲之内徹という稀有の文章家の存在など知らぬだろう、といった不遜きわまりない、見くびった失礼な思い込みも、まったくないとは言えない。身体も精神も追い込まれる状況に陥ったならば、誰もその良さを知らぬ、したがって誰との回路もつながっていない洲之内徹の世界に逃げ込む。それが救済のための道しるべとなる。
やはり本書収録、関川夏央さんの「水面に映る風景―洲之内徹の東京」という一文に、晩年事実婚の間柄にあった鈴木初実さんの推察と断って、次の指摘がある。
また、彼の恐るべき記憶力、それからさりげなく書いてはいるけれども、「気まぐれ美術館」をつらぬく精密なデータ主義というかノンフィクション的な手法は、大陸時代に中共支配下地域の兵要地誌作製経験の遺産だろう、と彼女は推察している。
わたしが『気まぐれ美術館』に惹かれるもうひとつの重要なポイントとして、ここで指摘されている点がある。これを「精密なデータ主義というかノンフィクション的な手法」と的確にまとめ気づかせてくれたのは、本書を読んでの収穫だった。