1960年の表参道

「勝利と敗北」(1960年、大映
監督・脚本井上梅次/脚本須崎勝弥山村聰川口浩若尾文子本郷功次郎野添ひとみ/三田村元/新珠三千代船越英二/安部徹/高松英郎/友田輝/見明凡太朗/浦辺粂子/潮万太郎/村田知栄子

タイトルやテーマからだけではあまり食指がそそられない大映作品のなかに、しばしば「銀幕の東京」的観点からとても貴重な価値を有しているものが混じっていることについては、これまでも何度か言及したところである。たとえば「実は熟したり」(→2006/6/16条)、「やっちゃ場の女」(→8/5条)などがそうだった。ともかく観てみないことにはわからない。
この「勝利と敗北」も、奇しくも大映の、若尾文子出演作である。といっても本作品の場合若尾さんはそれほど大きな位置を占めてはいない。いま何かと話題のボクシング界を舞台にした作品。
ライト級の全日本チャンピオンが防衛直後に網膜剥離のため引退を発表、空席となったチャンピオンを決めるため、当級一位以下上位四人のボクサーによるトーナメントを行なおうという筋。
一位が川口浩。自動車整備工場で働くまじめで禁欲的な好青年。恋人が若尾文子(学校の先生)なのだが、若尾は恋人が「拳闘」をしていることを嫌い、これ以上拳闘を続けるなら別れると川口に迫る。川口は年齢も年齢だし、チャンピオンになれる最後のチャンスを逃したくないからと、恋人よりボクシングを選ぶ。
川口が所属しているジムの会長が山村聰。山村のジムにはもう一人若手で成長株のライト級ボクサーがいて、それが本郷功次郎。彼は川口と対照的に遊び好きでハングリー精神に欠けている。
川口の妹が野添ひとみ(母親が浦辺粂子)で、野添は川口のライバルで見明凡太朗のジムに所属する三田村元と恋仲であり、川口と三田村も仲が良い。そこに本郷も絡んでくる。三田村や本郷のバイクの後ろに同乗し、そのスピードに陶酔する野添ひとみの表情がエロティック。本郷のバイクのスピードにエクスタシーを感じ、そのまま身体をも任せてしまうだけでなく、その後「あれはいっときの気の迷いだった」とすぐ三田村とよりを戻す野添に「おいおい」と突っ込みを入れたくなる。
ストーリーは、チャンピオンを争うボクサーたちの戦いと、彼らを鍛えるトレーナーやプロモーター(山村聰対安部徹・高松英郎)の争いに、本郷・三田村・野添の三角関係が絡んで展開する。
けれども、たぶんこの映画の真の主人公は、「孤独なジム会長」山村聰なのだ。二人のライト級実力派ボクサーを抱え、ジムの会長などやるもんじゃないと行きつけのバーのマダム新珠三千代に愚痴をこぼすこともあるのだが、指導は厳しく、かつ誠意に満ち、人望も厚い。「強さはパンチだけでなく心なのだ」と本郷功次郎に教え諭すところなぞ、先ごろの騒動を思い出してしまった。
山村はたぶんボクシング一筋だったゆえか独り者で、マダム新珠三千代は彼に心底惚れているのだけれど、山村もまたボクシングを選ぶ。東宝からわざわざ新珠を呼んで出演させる必要があるのか、疑問に思っていたのだけれど、彼女が熱烈に山村を愛していながら、結局自分に求婚してくれた資産家船越英二を選んで山村に別れを告げるシーンを観ていたら納得した。この映画の山村聰は、男らしくて信頼感があり、綺麗な女性にももて、とことん儲け役である。
さて「銀幕の東京」的価値。川口が自分の修理工場でライバル三田村のオートバイを修理してあげたあと、二人乗りで疾走する場面。片側三車線の広い舗装道路で、見渡すかぎりまっすぐの一本道。両側に並木もなく、緩やかにいったん下って、はるか先のほうで上り坂になる。
「この道路いったいどこだろう」と思っていたら、次のシーンでアップになったバイクの向うに、同潤会アパートらしき建物が映っている。もしや、と巻き戻し(とは言わないか)てみたら、ビンゴだった。その道路とは、表参道らしいのである。
1960年(昭和35)年、いまから約50年前の表参道。表参道を象徴するような鬱蒼とした並木は、植えられたばかりのようにまだ背が低くて緑も少なく、信号も歩道橋もない。両側に圧倒されるようなファッション・ビルの影すらない。見渡すかぎり広い一本道で、明治通りへ向かって下ってゆく傾斜と、その先の上り坂の勾配がはっきり見てとれる。素晴らしい風景。
そう言えば以前小林信彦さんの『おかしな男渥美清*1新潮文庫)を読んだとき、「並木道の両側は普通の住宅街で、ひとけも少く、犬を散歩させる老人が目についた」という昭和30〜40年代頃の表参道の回想が、「実は熟したり」に登場する表参道のそれと一致して、その落差に驚かされたことを思い出した(→2006/8/20条)。「勝利と敗北」は、なおさら上記小林発言を裏づけることになる。
いまはなき同潤会青山アパートは、あの表参道の並木の緑と切っても切り離せない関係にあり、かつゆるやかな坂道ともマッチしている。それがわたしのイメージであった。50年前の、並木道、明治神宮の参道という雰囲気がまったく感じられない広漠たる表参道の、向かって右側にある同潤会アパートの映像は、わたしの記憶にあるものと違って、何だか浮ついた印象を与えられた。
昭和初期から同じ所にある同潤会アパートと、並木道の表参道、いまや失われたあの空間は、昭和35年の時点では「風景」ですらなく、数十年という時間をかけながら東京の人々の心に「風景」として刻まれていったのだということがよくわかる。「風景」は普遍的ではなく、見るものによってつくられるのだという川本三郎さんの指摘に納得する。
文句の付けようがない儲け役の山村聰の姿ともども、この表参道の風景が映っているだけで、DVD保存を決めた。