川本本の連鎖のことなど

ミステリと東京

川本三郎さんの新著『ミステリと東京』*1平凡社)を読み終えた。
待ちに待った待望の本だった。本書が出る直前、別の新著『映画を見ればわかること2』の嬉しい不意打ちにも出くわした。秋田出張から帰り、その足で上野駅構内の新刊書店に飛び込んで、500頁に及ばんとするぶ厚い本書を手にしたときの喜びは言葉で表現し尽くせない。まずは出張の疲れが吹き飛んだ。
「待ちに待った」というのは、新刊情報で刊行を知って以来どころではない。『東京人』連載時から単行本にまとめられるのを待ち望んでいたのである。
そもそも本書の元となった『東京人』の連載は二度に渡っている。最初は1999年5月号から2000年9月号まで。そのあと四年ちょっとの間を置いて2005年1月号から2006年6月号まで。最初の連載時タイトルは「ミステリー小説の東京」、二度目は「ミステリーと東京」である。これら二度にわたる連載が本書『ミステリと東京』になった。タイトルそれぞれが微妙に違っている。
わたしは以前一度目の連載の最終回(松本清張に触れた回)について言及していた(→旧読前読後2000/8/8条)。そのとき、連載で取り上げられた作家を調べたように記憶しているのだが、記録として残っていない。ともかくその時点で連載が本になるものと期待していたのである。
ところが本にならないまま、川本さんは『東京人』で新たな連載を始める。『東京の空の下、今日も町歩き』*2講談社ちくま文庫)にまとめられる「東京泊まり歩き」(2002年から03年)、『我もまた渚を枕』*3晶文社)にまとめられる「東京近郊泊まり歩き」(2003年から04年)だ。
もちろんそれぞれ面白かったのは言うまでもない(→2003/11/16条2004/12/6条2006/10/13条)。けれども、「ミステリー小説の東京」が本にならないのが気になって仕方がなかった。
そう気を揉んでいるうち二度目の連載「ミステリーと東京」が始まったのである。しかもこの連載が終了してからでも一年以上経っている。少なくとも2000年からだから、足かけ八年越しの念願が上野駅でめでたく成就した。
謎めいた犯罪は都会で起こりやすい。謎を追う刑事や探偵たちは、わずかな証拠も見逃すまいと都市を歩き回る。かくしてミステリは都市小説でもある。川本さんは東京を舞台にしたミステリを、東京を描いた都市小説として読み解こうとする。
そしてそのまなざしの中核には、社会学的な問題意識が据えられている。都市のなかの孤独、都市生活者における生活格差、大都市に出てくる地方出身者に注目することによる都市と地方の問題。

松本清張は、東京をつねに地方からの視線で描く。弱者が強者を見る目で東京をとらえる。中央の権威、権力によって低く見られている地方の悲しみ、憎しみ、怒り、そして他方での憧れといった感情が複雑に交差し合う。(476頁)
三章分が割かれた松本清張論はとりわけ本書の白眉であり、松本清張がどのような視点で東京を舞台とした作品を創りあげていったのかが克明にたどられる。著名な長篇だけでなく、マイナーな短篇やミステリとしては上出来でないような作品まで広く目配りされ、次から次へと清張作品を登場させている。
「あとがき」のなかで、現在松本清張がブームになっているのは、東京一極集中による地方との格差問題と無関係ではないと指摘している。なぜ松本清張が再評価されているのか、核心をつく発言ではなかろうか。
先に二度にわたる連載のあいだに「泊まり歩き」の連載が挟まっていると書いた。実はこの泊まり歩きも東京ミステリと無関係ではない。『東京の空の下、今日も町歩き』で取り上げられている町のうち、八王子の回では篠田節子さん、羽村福生の回と大井町・大森・羽田では高村薫さんの作品に言及されている。いずれも『ミステリと東京』で一章割かれた作家である。
羽村の旅館に泊まったときには、ビールを飲んで食事をとったあと、高村さんの『照柿』を再読しているうち、眠ってしまったとある。『照柿』こそ『ミステリと東京』で取り上げられた作品だった。
「泊まり歩き」のお仕事が『ミステリと東京』と緊密に結びついていることを発見できたのは嬉しい。それだけでない。先日読んだ『映画を見ればわかること2』で、アンドレ・カイヤット監督の映画「眼には眼を」が、松本清張の長篇『霧の旗』のヒントになっているという指摘がある(「ハネケ監督「隠された記憶」のことなど」)。
『霧の旗』と「眼には眼を」の関係については、『ミステリと東京』の松本清張の回(「地方から東京を見るまなざし」)でも触れられていた。「泊まり歩き」だけでなく、映画にまつわるお仕事、記憶もまた、本書と密接につながっている。どこを切ってもまぎれもなく川本さんのお仕事であり、川本さんの本を一冊読むと旧著のあちこちへとリンクが張られていることに気づかされる。それに気づいて、本棚から川本さんの本を引っぱり出し、あちこち拾い読みするのも愉しいことだ。
『ミステリと東京』もまた、これから何度も繙かれることになる本となるに違いない。