絵を経験する

セザンヌの塗り残し

9月29日、すなわち一昨日から、宮城県美術館で企画展「洲之内コレクション展」が始まった。洲之内徹さんの没後「洲之内コレクション」は一括して同美術館に収蔵されたが、今回5年半ぶりにその全貌が展示されるという。私が『気まぐれ美術館』を読みはじめたのは去年のことで、その後二度ほど美術館に足を運び常設展に出品されたコレクション数点を観たことがあるが、全貌に触れるのははじめての機会となる。
ちょうど会期中に仙台に行く用事があったので、そのついでに(といいつつ実はこちらがメインかもしれない)美術館を訪れようと思う。今からとても楽しみだ。
先日読書中だと書いたセザンヌの塗り残し』*1(新潮社)はその予習のつもりだった。相変わらずの「気まぐれ」ぶり、脱線ぶりが楽しい美術随想で、毎月の締切に苦しみ、思考の流れをそのまま筆にして文章を書きはじめたと思いきや、いつのまにか絵の話に入り、人間というもの、芸術というものの核心を鋭くつく文章に出くわしてハッとさせられる。洲之内さんの本を読むと、いつも引用したい文章が多くなり困ってしまう。
たとえば50年ぶりに高円寺を訪れた話から語り出される「いっぽんのあきビンの」では、こんな感慨が漏らされる。

私はなんだか、人間の一生などといっても知れたもんだという気がした。五十年の私の歳月にはずいぶんいろんなことがあったようで、しかし、それらはすべて、高円寺から高円寺までひと廻りしてくる輪の中にあるような気がするのであった。(33頁)
こうした洲之内さん独特の時間把握による人生哲学は、当然絵に相対するときにも働いている。
私はその絵を私の人生の一瞬と見立てて、その絵を持つことによってその時間を生きてみようとした、そういうことなのである。(「セザンヌの塗り残し」)
上の発言は、自らのコレクションについて、これらの絵を絵としていい絵だと思ったというただそれだけでないという一節につづく文章である。となればこれから観にゆく「洲之内コレクション」は、そんな洲之内さんの「人生の一瞬」の積み重なりということになるのか。持つことによって時間を生きようとしたというその集積物を、観ることで分かちあいたい。大げさだが、そんな心がまえが芽ばえる。
本書中の圧巻は、木村荘八のペン画「おいらん丸鉄砲洲発航」を出発点に「おいらん丸」という船の実像を探って利根川水系の船の航行を調べ、隅田川と房総の水運を語り、さらに、浅井忠の「麻生村」という素描が描かれた場所を再考しつつ、夭折の画家関根正二の住んだ家を深川に訪ね歩いた「おいらん丸追跡」「続おいらん丸追跡」「「続おいらん丸追跡」の続」という一連の文章である。これらの前に浦安を訪れ『青べか物語』の世界を追体験した「迂曲限りなく」があって、ひと続きと見てよい。
洲之内さんには別に、松本竣介の絵のモデルとなった場所を特定しようとした記録「松本竣介の風景」(新潮文庫『気まぐれ美術館』*2所収)に見られるように、洲之内さんはこうした探索行が大好きなようで、その過程を綴った文章も無類に面白い。
本書ではその他にも「村山槐多ノート」という二回続きの槐多論が収められているが、これまた一種の槐多探索行と言ってよい。このなかで先の「おいらん丸追跡」の文章について、そんなことをして何の意味があるのかという批判を受けたとある。洲之内さんは批判に対し、一理あるとしながらも、こんな反論をする。
わざわざ猿江裏町の中を歩きまわってから関根正二の家の跡へ行ってみるということは、その人にとって、また近代日本美術史研究にとって意味はなくても、私にとっては意味がある。何と言ったらいいか、うまく言えないが、言ってみれば、そうすることで、関根正二が私の経験の中へ入ってくるのである。(…)時間的にも空間的にも、彼は私と離れた存在である。ところが、そうやって自分の足で歩きまわるというそのことで、私は関根正二を経験している。(「村山槐多ノート(二)」)
そういうことが好きな人間として、この洲之内さんの意見はとてもよくわかる。結局これもまた、関根正二の絵をただ観たり持ったりするだけでなく、関根の住んだ場所を歩くという時間を生きることで関根の経験を自己同一化するということなのだろう。こちらの場合空間的経験ということになろうか。
洲之内さんの絵に対する態度というのは、こんな時間的経験、空間的経験が重層的に積み重なったところで表明されるので、主観的でありながら説得力を持つのだろう。私はそんな点に惹かれるから洲之内さんの文章が好きで、洲之内さんの集めた絵が好きなのである。