絵にまつわる物語を入口に

絵のなかの散歩

散歩の途中時間つぶしのためぶらり立ち寄ったというような場合は別にして、絵の展覧会というものは、たいてい企画目当てで美術館を訪れるものだろう。だから、多かれ少なかれ、行く前から何らかの前情報が頭に入っているわけである。先入観皆無の空白な頭で絵と相対することは不可能事に近いのだ。
いきなりこんな言い訳めいた言辞をつらねたのも、今回宮城県美術館で洲之内コレクション展を観るにあたっては、純粋に絵を観てそこから何かを感じようといった考え方を思い切って捨て、逆に、絵にまつわる「物語」を頭に入れて絵を観察しようと思ったからだ。行きの新幹線のなかで、携えた『絵のなかの散歩』*1新潮文庫)に目を通し、これから直接目にするであろう絵と洲之内徹さんはどのようにして出会い、「人生の一瞬」を演じてきたのか、少しでも時間を共有したいと思った。
今回の展覧会には図録はなかった。チラシとパンフレットによれば、宮城県美術館が洲之内コレクションを収蔵したのは、洲之内さんが亡くなった翌年の1988年で、コレクションはおもに日本の近代・現代の油絵87点、素描・水彩44点、版画13点、彫刻1点の90作家146点から成る。
『気まぐれ美術館』をはじめとする著書で触れられている作品は多いが、そもそも洲之内さんは画商である。この間手元を離れたりしたものもあったはずだ。パンフレットには、コレクション各作品一点一点について、洲之内さんのどの著書に言及があるかといった『気まぐれ美術館』ファンにはたまらない索引が付けられていて便利このうえない。これを見ると、著書に触れられていない作品が意外に多いことに驚かされる。
今回のコレクション展は、5年半ぶりに全貌を紹介するというものであったが、うち有名な部類に属する数点は首都圏の展覧会に出品されており、お目にかかることはできなかった。佐藤哲三「赤帽平山氏」は現在東京ステーションギャラリーで開催中の「佐藤哲三展」出品中。佐藤の代表作だから仕方ないか。いずれ見に行く予定。また長谷川利行「酒祭り・花島喜世子」は先日練馬区立美術館で開催中の「小熊秀雄と画家たちの青春」展で見たばかり。萬鉄五郎「風景・春」は神奈川県立近代美術館・葉山館に行っているという。
さて、絵にまつわる物語を念頭において絵を観ること。これが無性に面白かった。海老原喜之助「ポアソニエール」を見ながら、洲之内さんはこの絵を前の持ち主原奎一郎の家から大雨のなかまるで強奪するように持ち帰ったことを思う。入手にひと悶着があったといえば、鳥海青児「うずら」も土門拳夫妻との息詰まるかけひきのすえようやく洲之内さんの手に入ったものだった。
萬鉄五郎「自画像」を前に、この作品は骨董屋から入手したもので、そのときは黴だらけで汚らしく、見る影もなかったという文章を思い出す。もちろん今はそんな雰囲気は微塵もない。骨董屋といえば、野田英夫「メリー・ゴー・ラウンド」も青山の骨董屋から買ったものだという。
千家元麿「森」を前に、そこに描かれた赤い花から、『絵のなかの散歩』の冒頭の一章「赤まんま忌」で追想される事故死した洲之内さんの次男のことを思い、長谷川燐二郎「猫」を見て、猫のヒゲをわずか数本書き入れるだけなのに春か秋まで待ってくれと言われた愉しいエピソードを思い出す。たしかに「猫」のヒゲは猫の体にくらべて絵の具が新しいような気がする。
絵を観るためにこうした「物語」を踏まえるのは邪道かもしれないけれど、洲之内作品を好んで読むようになった以上、こういう楽しみ方をしないのはかえって損である。