「気まぐれ美術館」前史〔病中病後その7〕

芸術随想 おいてけぼり

病院のベッドの上でひたすら活字を目で追う時間を過ごしていると、さすがに疲れてくる。外泊許可をもらって家に戻ったとき、図版の入った本も読んで気分転換をはかろうと考えた。選んだのは、洲之内徹さんの単行本未収録エッセイ集『芸術随想 おいてけぼり』*1世界文化社)である。
本書は、1962年から64年にかけ「愛媛新聞」に連載された「新聞版『気まぐれ美術館』」33篇と、1974年から79年にかけ「アルプ」に連載された山を描いた絵画についての短いエッセイ「山のとびら」58篇、その他各所に発表された美術エッセイ10篇からなる。
今年2月に刊行されたものだが、なぜいまになって本書がまとめられたのか、またそれぞれの文章の成り立ち、後の『絵のなかの散歩』『気まぐれ美術館』シリーズとの関係など書誌的な情報については、編者の覚書などがまったくないために一切不明である。その点多少不親切なのだが、そのぶん図版キャプションは洲之内さんの他の文章(多くは『気まぐれ美術館』シリーズ)を引用するなど丁寧につくられている。
やはり本書の目玉は、『絵のなかの散歩』『気まぐれ美術館』に先行する「新聞版『気まぐれ美術館』」だろう。私は以前『絵のなかの散歩』を「洲之内コレクション形成史」の本であると書いたが(→3/10条)、新聞版はさらにその原型となる文章だった。
一番最初に取り上げられた長谷川りん次郎「薔薇」の回で、連載タイトルの由来についてこのように述べられている。

そういうぜったい売りたくない作品とぜったいに売れそうもない作品とがおいおいに手もとに残って、私のアパートのへやの大半を埋めている。蒐集家になるほどの資力はなく、さりとて画商にも徹しきれない中途半端な存在なのだ。
しかしそれはかまわない。私は夜ふけなど、そういう絵を一枚とりだして、ひとりでウイスキーのグラスをかたむけながら、時のたつのを忘れることがある。これは私の気まぐれが生んだ、私ひとりのための美術館である。
一回あたりの分量が少ないせいか、対象作品の来歴や印象について述べることで紙幅が尽き、後の本シリーズに見られるような大きく脱線してなかなか本筋に戻らない「気まぐれ」度は低い。だがそれゆえに洲之内ファンとしては物足りない。
ところでこの新聞版で取り上げられたのは当時洲之内さんの手元にあった作品ばかりだという。
私は目下のところ画商で飯を食っているので〈気まぐれ美術館〉には私の画廊の商品はのせないたてまえである。つまり〈気まぐれ美術館〉にはいっているのは私のコレクションで、これにのせれば非売品の札をはったと同じことなのだ。(71頁)
しかし図版キャプションに「宮城県美術館蔵」とないものは、洲之内さんが亡くなったときに手元になかったものだろうから、その後諸般の事情で洲之内さんの手を離れてしまったものが多いようである。とはいえ上述のように、一度は「洲之内コレクション」に入ったものであることは確か。新聞版を見ると失われた洲之内コレクションの目録も再現できるということになるのだろう。
一枚の絵のあり方の中には、それ(値段の高下や傑作か否かという判断―引用者注)だけではない、もっと深い、大切なものがあるはずなのだ。(27頁)
「おいてけぼり」の装画と題字を書かれた松田正平さんがつい先ごろお亡くなりになった。ご冥福をお祈りしたい。