重松作品はストレート待ちで〔病中病後その6〕

なぎさの媚薬

重松清さんの新作『なぎさの媚薬』*1小学館)は、「敦夫の青春」「研介の青春」という二つの中篇から構成されている。もとは『週刊ポスト』連載。先般同誌は脱ヘアヌード宣言をしたそうだが、いかにも同誌向けの小説である。
前の『愛妻日記』*2講談社、→2003/12/20条)で繰り広げられた愛欲の世界と、ある仕掛けによって登場人物が自らの過去へと遡る『流星ワゴン』*3講談社、→2003/12/7条)を足して二で割ったような雰囲気の物語と言えるものの、割り方は等分ではなく『愛妻日記』の色が断然濃い。だから『流星ワゴン』系小説が好きな重松ファンとしては、「目頭が熱くなる」度が低くて物足りない小説だった。
渋谷の裏通りに立っているという「伝説の娼婦」なぎさ。いつも同じ場所にいるとは限らず、向こうから「買ってください」と声をかけられないかぎり彼女と一夜を共にすることはできない。彼女が男を選ぶ基準は、金やルックスではない。その男が孤独かどうかだ。
彼女とセックスをし、男の精液と女の愛液がまじった「媚薬」を口に含むと、青春の頃に戻ってその頃出会った好きな女性とセックスができるのだという。先に『流星ワゴン』をあげたのも、こうした失われた過去に遡るというモチーフが取り入れられているからである。ただ方向性はまったく逆で、『流星ワゴン』の場合、セックスは過去から現在に戻るきっかけになっていた。
伝説の娼婦と出会ってセックスをし、「媚薬」を口にすることで過去にタイムスリップして少年時代に好きだった女性と思う存分セックスできる。こんな構造をとるから、最初はシリーズ化も容易なのではないかと思いながら読んでいた。しかし二篇目の「研介の青春」を読んだら、逆に最初の「敦夫の青春」のみで有効な仕掛けなのではないかと考え直した。
「敦夫の青春」は、片道切符の出向を言い渡されたリストラ同然のサラリーマンが、「媚薬」を口にすることで、中学時代に戻り、片思いのまま離れてしまった同級生に思い切って告白して高校・大学まで付き合いつづけ、セックスまで到達できたという話だ。実は彼女のほうも敦夫に恋心を抱いていたのだが、互いの心を知ることなく別々の高校に進学してしまった。彼女は大学入学直後のサークルの飲み会で泥酔させられ、上級生らに暴行されてしまう。それが原因で妊娠し、心の傷が生じ、挙げ句の果てに自殺してしまったのだった。
この現実をなぎさから知らされた敦夫は、過去に戻り彼女に告白することで彼女の人生を変えようとする。ただなぎさに言われたのは、相手の人生は変わるかもしれないけれど、過去に戻って好きな人とセックスできたとしても自分の人生は変わらないということ。
帯の背の部分の惹句「青春童貞小説」が端的に物語るように、青春の頃男であれば誰でも抱いていた、ただひたすら女性と性的関係を持ちたいという欲望が生々しく描かれ、性描写も濃い。その陰に隠れて人生のゆくすえを見失いつつある働き盛りの男たちに対しエールが贈られる。ラストで主人公は中学一年になる息子に「片思いでもいいからな、好きな女の子、つくれよ」と声をかける。息子は照れて自分の部屋に戻ってしまった。

その背中を苦笑交じりに見送って、がんばれよ、と心の中で声をかけた。いまはわからないだろう。だが、おとなになったら――人生に疲れてしまったら、わかる。思い出の中に初恋のひとがいることが、そのひとの幸せを祈ることが、ささやかな生きる支えになるんだ、と。(136頁)
過去に戻って告白し恋人同士になったことにより、彼女の人生は救われた。彼女の人生は書き換えられ、暴行も受けず自殺もせず幸せに暮らしているという。敦夫は彼女の現住所を調べ、住んでいる町を訪れる。住まいに近づくと、彼女の面影を残す女性がその娘とおぼしい少女と二人で歩いているのにすれ違った。ああ、よかった、夢ではないのだ。
敦夫は振り向かない。足も止めない。上り坂を歩きつづける。瞬くと、瞼に涙がにじんだ。(139頁)
最初の一篇「敦夫の青春」で青春のむきだしの欲望を描写しつくしてしまったゆえか、次の「研介の青春」はきわめて異常な性愛が対象になっている。受験戦争がテーマに取り入れられてはいるが、筋立てが異常すぎてリアリティに欠ける。シリーズ化はできないだろうと思ったのもそのためだ。こうなると私はついて行けなくなる。
本書は「家族小説」の変化球だと言えるが、ボールが曲がりすぎてストライクゾーンを大きく外れてしまった。私はあくまで“ストレートのストライク待ち”である。