伊馬春部と戸板康二〔病中病後その8〕

ラッキー・シート

体温の高さが気になりだすにつれ、ネットを見るのも億劫になった。PCのある部屋はエアコンがなく、蒸し風呂状態だからだ。それから退院まで長い期間ネットから離れていたわけで、この期間はネットをはじめて以来の最長記録かもしれない。だから退院後インターネットにつないでまずやったのは、書友の皆さんのサイトをひととおり巡礼することに加え、従来週一回ほどのペースで行なっていたネット古書店のチェックだった。最近は惰性に近くなっているが、戸板康二さんや川本三郎さんの著書をチェックしているのである。
さすがに離れていたおかげで…、などと簡単に目当ての本が見つかればわけはないのだが…、いや、本当に離れていたおかげでと言いたくなるほど、長く探していた戸板さんの本を見つけることができた。まるで神様が退院祝いをくれたかのよう。
入手したのはミステリ短篇集『ラッキー・シート』河出書房新社、1962年)。7篇の短篇が収められているが、うち表題作「ラッキー・シート」に加え、「密室の鎧」「写真のすすめ」の計3篇が中村雅楽物である*1
團十郎切腹事件』をはじめとする雅楽物オンリーの短篇集は入手困難というほどではない。それにくらべこの『ラッキー・シート』はこれまで古本屋でもネットでもまったく見つけることがなかった。戸板さんの著書のなかでも入手困難の部類に入るのではあるまいか。それを売価1100円あまりと格安で入手できたのは幸いだった。とはいえ私が戸板さんの本を集めだしたのはたかだか数年前に過ぎないから、いくら入手困難の本であっても、根気強く探していればそう長くかからず手に入るものだという意をあらためて強くした。
届いた本を見てさらに驚いたのは、献呈署名入だったこと。しかも受贈者は劇作家伊馬春部氏なのだ。伊馬氏については、『あの人この人 昭和人物誌』*2(文春文庫)のなかに「伊馬春部のカメラ」という文章が収められている。それによれば伊馬氏は鵜平と称した頃ムーラン・ルージュ随一の人気作家として名を知られ、井伏鱒二に師事するいっぽう折口信夫の短歌結社「鳥船」に属した折口の側近で、戸板さんはそこで彼と出会ったのだという。

伊馬さんとは以来病歿した昭和五十九年まで、ずっと親しくしていたので、書く材料はおびただしいが、やはりユーモラスな人物にはちがいなかった。(121頁)
金子信雄丹阿弥谷津子夫妻を中心とした演劇集団「マールイ」の同人仲間でもあり、戸板さんは終生先輩後輩の間柄で親しく付き合った様子が、上記「伊馬春部のカメラ」からもうかがえる。私が伊馬春部という人物の名前を知ったのも戸板さんの著作を通してであるから、「ちょっといい話」シリーズをはじめとしたいろいろな文章に登場しているのではないだろうか。
そんな二人の関係をしのぶよすがとなるのが、今回私が入手した伊馬春部宛署名入の『ラッキー・シート』なのである。小口こそ茶色に変色し、背は日焼けのため褪色してはいるものの、スリップが挟まったままで状態は悪くない。スリップが挟まれたままだから、読まれたようには思えない。
ただ、もう一つ本書に付いていた「おまけ」が気になる。伊馬春部に宛てた葉書が挟み込まれていたのである。小倉に住む新婚のご夫婦が伊馬氏から結婚祝いを贈られたことに対する礼状(結婚挨拶状)であった。挨拶の文面が印刷された葉書には、結婚にあたり新郎が詠んだ句も自筆の書影が刷り込まれており、結婚直後の若い人(ともいちがいには言えないか)とは思えないセンスである。新郎の名前(あるいは俳号か)の一字が伊馬氏と同じということもあり、師弟関係であったことを推測せしめる。
官製葉書は5円。消印は昭和37年4月3日。本書の刊行日は奥付によれば同年3月15日だから近い。伊馬氏は、献本直後に送られてきた挨拶状を栞がわりに本書を読んだのかもれないという推測が、いっぽうで成り立つ。栞が挟まれていたページは、取り立てて送り主や挨拶状の内容と関係する記述があるわけではないようだ。
古本の献呈署名や、書き込み、持ち主によってあとから挟み込まれたいろいろな紙片はわたしたちの想像力をかくも刺激する。

*1:雅楽物の「隣の老女」「篤行の極致」2篇については、吉田健一が『大衆文学時評』のなかで、いつもの調子で激賞している。

*2:ISBN:4167292122