望まれる川島雄三伝

川島雄三、サヨナラだけが人生だ

川島雄三という映画監督はどうもよくわからない。川島作品はメジャーなのか、マイナーなのか。写真を見るとハンサムな顔立ちである。しかし実像は酒好きで露悪家で、「日本軽佻派」を標榜していた。小児麻痺とも言われる宿痾のため身のこなしが不自由だったという。写真からはとてもそう見えない。
45歳で急逝したという事実にくわえ、写真だけ見ると、「若い人」というイメージを持ってしまうが、生まれは大正7年であり、デビュー作が戦中の「還って来た男」であるから、日本映画の黄金時代においてはベテランの域に属するほうだろう。ちなみにいまなお現役の市川崑監督は大正4年生まれである。
川島雄三を意識するようになってから、この人のしっかりした評伝を読みたいと思うようになった。でもそうした本はないらしい。かろうじて、川島監督に師事し、同監督作品「貸間あり」のシナリオを手がけた藤本義一さんによる本がそれに近いことを知ってから、読む機会をうかがっていた。さいわい先日、久しぶりに訪れた神保町古書モールにて、その本川島雄三、サヨナラだけが人生だ』*1河出書房新社)を見つけたので、購った。
その作品がメジャーなのかマイナーなのかという問題設定自体ナンセンスなのかもしれない。同書の帯には「〈重喜劇〉のカルト映画監督」とある。「カルト」という言葉からは、少なくともメジャーではないと理解されるだろう。
いっぽう、同時代の実感を大切にする小林信彦さんは、『コラムにご用心』*2ちくま文庫)中の一篇「〈映画考古学〉批判」において、「東京圏だけで発売されている某情報誌」が、岡本喜八川島雄三を発掘しよう」という叫んでいることについて、苦り切ったように「見当ちがい」としたうえで、

川島雄三は、生前も、亡くなったあとも、きちんとした評価のある作家で、若いライターが〈発掘する〉など、おこがましい。(195頁)
と厳しく批判する。「きちんとした評価」があれば、カルトという位置づけとも多少異なるような気がする。
そもそも私が観たことのある川島作品は、

以上9作品に過ぎないから偉そうに言えないのだが、三度観た「洲崎パラダイス 赤信号」や、傑作の誉れ高い「幕末太陽傳」などを観ていると、監督が川島雄三であることはどうでもよく、ただただ映画の緊密度の高さにエンドマークまで我を忘れて映画に惹き込まれてしまうから、これすなわち名監督ということなのだろう。すばらしい傑作もあるかわり駄作怪作も多いというのも事実だろうし、そういうものにかぎって監督の名前が観る者に意識されることになる。上のなかでは「特急にっぽん」がいまひとつだった。獅子文六原作という期待度の高さが災いした感がある。
藤本さんの本には、川島監督との関わりを綴ったエッセイや、没後七年目に書かれた評伝小説「行きいそぎの記」(直木賞候補作となったという)、講演筆記、長部日出雄さん・殿山泰司さん・小沢昭一さんとの対談、「貸間あり」のシナリオが収められている。
同じエピソードがエッセイに小説に講演に対談にと、何度も登場するので多少くどさを感じないわけでもないが、それにしても壮絶な人生を送った人であるという印象の前に何も言葉が出なくなる。
青森生まれながら方言を出さず、藤本さんの前では「…でげす」といった下卑て古めかしい東京弁を駆使し、ダンディな服装でありながら、実は背広にバネが仕掛けてあって身体の不自由さを隠そうとする。他人の悪口や批評は決して口にしないくせに、他人のことが気になって仕方がない。ますます実像が遠のいてゆくような気がした。
面白かったのは、小津監督の挿話。他の映画監督の手法が気になる川島さんは、藤本さんが他の監督と仕事をしたとき、その監督の話を聞きたがった。ある日藤本さんが小津監督に李朝の置物を探してこいと命ぜられる。高価な置物をガードマン付きで百貨店から借りてくるが、「違う」と言われ窮した藤本さんは、鍋焼きうどんの器の蓋に泥絵具で色を塗って差し出したら、「これだ」と言われた。その話を川島監督に報告すると、とても喜んでとめどなく酒をつがれたという。
小沢昭一さんとの対談では、川島作品に最も多く出演した三橋達也さんの話題になり、下町生まれで新し物好きの三橋さんとウマがあったという謎について、小沢さんが興味深い指摘をする。他の人が持っている川島雄三との接点は、ある程度の共通項に立脚しているのだけれど、三橋達也の場合違う。「もう川島雄三に切り込む、残された唯一の切り口」が、三橋達也からの視点ではないかというのだ。
洲崎パラダイス 赤信号」での自堕落な男、「あした来る人」での都会的で山登りに命をかける資産家の息子というすこぶる印象的な役を演じた三橋さんももう物故されてしまった。誰か面白い川島雄三伝を書いてくれないものだろうか。