安岡章太郎の東京地図

僕の東京地図

この間書友と呑む機会があったとき、待ち合わせ場所にしていた東京堂書店で直前に手に取り、興味を動かされていた安岡章太郎さんの新刊『僕の東京地図』*1世界文化社)の話題が出た。
どのような話の流れだったか、安岡さんは青山にある青南小学校出身で、この小学校は当時(昭和初期)公立のなかでは有数の進学校であり、安岡家はわざわざ章太郎少年を青南に入学させたいがため、家を近くに引っ越したというエピソードが印象に残った。この時代すでに「越境入学」的なことが行なわれていたのかという驚きと、私立ではない小学校が、こうした進学を念頭においた人びとの間で「進学校」として確立されていたという驚きがない交ぜになって、強い印象として残ったのである。
わたしの長男は今年小学校に入学したが、言われてみれば去年妻の口から青南小学校の名前が出ていたことを思い出した。呑み会の場では、当時の公立小学校では、青南のほか、本郷の誠之小学校、番町小学校がトップスリーだったという話だったが、その後妻に確認してみると、番町小学校は麹町小のことらしい。もっとも妻の情報は歴史的なものではないから、昭和初期と現代では多少異同があるのかもしれないけれど。
その後『僕の東京地図』を書籍部で見つけたので、さっそく購った。もとより本書は純粋な新著ではない。扉裏の書誌情報によれば、1985年刊行の同名書(文化出版局刊)から、「ミセス」連載分を軸に、加筆のうえ、大幅に写真を加えて編みなおされたもののようである。新潮社の「トンボの本」のような判型の、写真をふんだんにあしらったビジュアルなシリーズ「ほたるの本」の一冊として刊行されている。
東京エッセイということだけであれば、そうした触れ込みの本が夥しすぎるゆえか、最近のわたしはこの看板に鈍感になりつつあって、積極的に求めようとしなくなっている。そのなかで本書を購入しようというきっかけになったのは、先の呑み会での話題に加え、パラパラめくって偶然目に飛び込んできた、昭和3年撮影の京成市川国府台駅の写真だった(14頁所収)。まわりに何もない、ただ野原が広がっているところに一本の線路が伸びている風景。田舎の駅としか言いようがない国府台駅の写真に、本書がたんなる東京本とは異質の「匂い」を感じ取り、購入を決意した。
当時国府台には陸軍の野戦重砲兵連隊の兵営があった。ことほどさように安岡さんの父君は軍人であり、少年は父の転勤にともない、各地を転々としたすえ、最終的に東京に落ち着いたという。市川は幼稚園の頃だとあり、同時期に住まった小岩とともに、懐かしく江戸川べりの風景を思い出している。
安岡さんが青山に越してきたのは小学校五年生のときで、父の前任地は弘前だという。勤務地は世田谷で、その近くであれば同じお金を出すと広い家が借りられたのに、わざわざ青山に手狭な家を借りてここに住んだ。理由は上記のとおりで、これは母親が弘前にいるときから、青南小学校の評判を聞いており、東京に住むなら一人息子をここに入れねばと決心していたからだという。母の思いはいまもむかしも変わらない。ともあれ、少年はこのとき「初めて、東京という都会に触れた」(22頁)。
安岡さんの描く当時の青山の風景を読み、思い出した本がある。川本三郎さんの『郊外の文学誌』*2(新潮社)である。「練兵場と脳病院の青山」という一章のなかに、郊外の頃の青山について書かれた文献が丹念に集積されている。練兵場とは青山練兵場。現在の神宮外苑のところにあった。脳病院とは言うまでもなく斎藤茂吉の青山脳病院。北杜夫『楡家の人びと』にも当然触れられているし、『僕の東京地図』の元版もちゃんと言及してある。軍隊の町としての青山界隈について、安岡さんはこう書く。

欅並木の表参道は、その頃から出来ていたが、いまのように外国人のファッション・モデルが日本人のデザイナーとつれ立って歩くなどということは考えられず、もっぱら近衛師団や、歩兵一聯隊、三聯隊などの兵隊が、軍歌をどなりながら、代々木練兵場にかようための通路であった。(22頁)
青山について書かれた文献であれば、小林信彦『私設 東京繁昌記』、有馬頼義『少年の孤独』『山の手暮色』、大岡昇平『少年』から、宮脇俊三『増補版 時刻表昭和史』まで、川本さんの本にはたくさん紹介されている。
安岡さんの本で興味深いのは、自身「終の住み処」と表現している多摩川河畔の尾山台に家を建て落ち着くまでに転々と移り住んだ東京の町々を、自身の記憶に重ねて丁寧にスケッチしていることだろう。本書では、青山以降、浅草・吉原、道玄坂など渋谷界隈、下北沢、九段、赤羽、隅田川、上野、神田、大森などの町の思い出が綴られている。
浅草や上野、神田などはともかく、下北沢(安岡さんが実際住んだのは代田)、赤羽、大森などの町が、安岡さんが暮らした時期の町並みを撮した写真とともに記録されているのが貴重だろう。
自分の住んでいた頃から大きな変貌を遂げてしまった大都会に対し、不安や苛立ちを隠さないものの、時の移り変わりで都市が変化するのはある意味当然と達観する心も持ち合わせる安岡さんの視点は、東京に長いこと暮らしているものの、根っからの東京人ではないというアイデンティティに根ざしているのかもしれない。