北村薫さんのおかげ

気になる部分

北村薫さんが編んだアンソロジー北村薫のミステリー館』*1新潮文庫、→2005/11/3条)を読んで、収録作品中もっとも心動かされたのが翻訳家岸本佐知子さんの文章だった。またもやそのときの感想の引用で恐縮だが、エッセイとも創作ともつかぬ「夜枕合戦」「枕の中の行軍」2篇から、「瑣事を細部まで大まじめに書ききる、フィクション創造能力の大きさ」を感じた。
上記2篇を収録しているのがエッセイ集『気になる部分』(白水社)で、それから書店での出会いを待ちつづけて半年が過ぎた。まじめに大書店で探せばすぐ見つかるのだろうが、まあ気まぐれに何かの機会に目に入ればいいかと鷹揚に構えていたのである。最近わたしの本(新刊・古本を問わず)に対する態度は、おおむねこんなゆったりとした受動的なものに変化しつつある。
とはいえ、財布の問題は背に腹を替えられない。先般大学生協書籍部で「白水社20%引きフェア」があったので、このときぞと岸本さんの本を探したけれど、見つからなかったので落胆した。書籍部との相性は思わしくない。ようやく単行本の現物と出会ったのが、『木もれ陽の街で』を購入した日の東京堂書店で、先の週末のこと。しみじみと手に取り、「とうとう…」と、生き別れになった家族と涙の再会を果たしたような気分になったものの、そのときは懐に余裕がなかったので泣く泣く購入を見送ったのだった。
それが結果的に功を奏したかっこうになる。週が変わって、白水uブックスの新刊として刊行された本書*2と出会ったからだ。目に入った瞬間に手に取り、喜び勇んで購入したことは言うまでもない。
さっそく読んで大満足。アンソロジーで読んだ2篇以外のエッセイもべらぼうに面白い。この著者と出会えたのは大収穫だった。「瑣事を大まじめに書ききる」という点、別役実さんのある種の著作を連想した。日常の出来事を別の世界の出来事に置き換えて描写するというアナロジーの能力(連想能力)と、それを引き締まった文章に表現する能力の高さに感服する。
文章からただよってくるユーモア感覚は並大抵のものではなく、「フフッ」と笑いをもよおさないエッセイがないほど。このユーモア感覚は脱力感にも通じるもので、川上弘美さんの『東京日記』を思い出した。いっぽう、エッセイよりも創作に近い「日記より」「日記より・2」の2篇は、まるで内田百間幻想小説のようであり、些細な出来事を大事に発展させてゆくスラップスティック的方法は筒井康隆さんのようである。
そんなことを考えながら読んでいたら、岸本さんは筒井さんの愛読者らしいので納得した。また、今回の白水uブックス版には1篇〈ボーナストラック〉が収められており、それが川上弘美さんを論じた「あるようなないような、やっぱりあるような」という一文であることに驚くいっぽうで、さもありなんとこれも納得だった。
「あるようなないような、やっぱりあるような」では、岸本さんは川上さんと一度も会ったことがないのに、なぜか同級生だった記憶があるとして、少女時代の川上さんとの交遊を綴るというケレン味に富んだ内容だ。そこから立ち上る川上弘美像は、川上作品から想像される川上弘美像そのもので、見事な川上弘美論になっていて愉快なことこの上ない。
賛辞をつらねすぎると空々しく聞こえる。こうなったら、読んで幸せな気分になった文章をいくつか引用するしかないだろう。

「粒タイプ」のガムがこわい。いちどスキップしながらあれを口に放り込んで、気管に詰まらせてあやうく死ぬところだった。あのような恐るべき殺人兵器が白昼堂々とキオスクで売られていることに慄然とする。スムーズに気管に吸い込まれるようにつるつるに仕上げた表面。両端を平たくつぶした流線型。ぴったり気管にフィットする大きさと形。そこには明確な殺意が感じとれるではないか。さらに恐ろしいのは、まったく同じような形と名前とパッケージのキャンディが、往々にして同じメーカーから発売されているという事実だ。キャンディをガムとまちがえて思いきり噛んだことによる歯および顎への衝撃および精神的ショック、といった惨事が、報道こそされないが全国で日に三十件ぐらいは発生していると思うのだが、その責任をクロレッツとかはどう取るつもりなのか。(「オオカミなんかこわくない」)
そこへいくと、私の名字は特別に珍しいわけでなく変わっているわけでもない。ところが発音と声質が悪いせいなのか、電話でこちらの名前を名乗らなければならないときなど、一回で正しく聞き取ってもらえることはまずない。「岸本と申します」「ニシモトさんですね」「いえ、岸本です」「あ、クシモトさん」「いやいや違います。キ、シ、モ、ト、です」「ヒ、シ、モ、トさん?」「いやそうじゃなく、あのほら海岸の岸にモト」「え、ウミモト?」「いえいえいえ、えーとだからほれ、きききき金隠しのキにシピンのシ」こんな時にかぎってろくな単語が浮かばない。だいたい今どきシピンなんて誰が知っているというのだ。大洋ホエールズももうないというのに。汗だくになって電話を切って振り返ると、課の人たちが全員死んでいる。(「続・私の考え」)
引用のためキーボードを叩きながら、「シピンかあ」と、おかしくてまた笑ってしまった。
翻訳家として携わったニコルソン・ベイカーの小説(『中二階』『もしもし』『フェルマータ』など)もすこぶる面白そうで、しばらく岸本さんの仕事の追っかけをやることになりそうである。