日活アクション映画と貸本文化

電光石火の男

古い日活映画を観るとき、つねに傍らに置いているのが関川夏央さんの『昭和が明るかった頃』*1(文春文庫)だ。もっとも本書は「あとがき」で関川さんがことわっているように、「映画の本ではない」

高度成長前半期の歴史とその不思議な時代精神を記述するために、もっとも時代に敏感であった映画、とくに石原裕次郎吉永小百合というスターを擁して、当時の思潮を「知識人」とは無縁な場所で、しかし強力にリードするかのようであった日活映画を、あえて私は材料にとったのである。(490頁)
けれどもそうした叙述を行なうために、石原や吉永が出演した作品だけでなく、日活のその時々で画期となった作品へも目配りが行き届いているから、観ようとしている映画が当時どのような位置づけであったのか、また、それを関川さんはどう観たのか、自分が観るさい十分に参考となることは言うまでもない。少なくとも、この時期の日活映画は、歴史を叙述するための貴重な素材であることは間違いない。
『貸本小説』(未読)の著者末永昭二さんの新著『電光石火の男―赤木圭一郎と日活アクション映画』*2(ごま書房)もまた、同じ時期の日活映画をその時代を描くための資料として縦横に活用している。
本書の主題のひとつは、彗星のように登場して日活のトップスターの座にのぼりながら、その絶頂期にゴーカート事故により21歳の若さで世を去った赤木圭一郎の語られ方、「赤木伝説」の形成過程にある。序章のなかで末永さんは、赤木圭一郎という映画スターが、メディアでどのように採り上げられ、どのようなイメージを作っていったかを追う」と述べている。そこから「あの時代」を見通そうという意図である。「赤木伝説」の真偽を問題にするのではなく、スター伝説の形成過程を追うという意味では言説史であり、時代相を描くという意味では関川さんの本と目的意識を共有している。
わたしは赤木圭一郎主演映画は、代表作のひとつ「霧笛が俺を呼んでいる」しか観ていない(→2005/12/8条)。日活が出資するCS放送チャンネルNECO」では、「日活名画館」と題して毎月日活映画を数本放映しているが、石原裕次郎小林旭吉永小百合がメインで、意外に赤木の主演作が放映される機会は少ないのである。
それまで「和製ジェームス・ディーン」というイメージでしか知らなかった赤木を映画で初めて観たとき、意外な感じがした。映画の感想で書いたことを繰り返せば、「もっと優男、おぼっちゃん系なのかと思っていたら、けっこうワイルドな雰囲気で、石原裕次郎のほうがずっと優男に見える。「間違いない」の長井秀和を精悍にさせたような顔立ちで、ちょっぴり猫背の姿勢が強い印象に残る」というものだ。
本書に掲載されている写真をあらためて見てもその印象は変わらない。本書のカバーを飾っている赤木の肖像は、唐沢寿明に似ていなくもないが、写真ではやはり長井秀和だ。赤木には、石原のような爽やかさに乏しく、小林旭宍戸錠のような明るさもない。けれども、独特の翳りがあるキャラクターは、かなり気になる。
本書の目玉は、当初に掲げられた言説史の部分(たとえば第1-2章)よりもむしろ、第6章「大衆文化の中の「拳銃無頼帖」」にあるだろう。おそらく『貸本小説』における問題関心がここに流れ込んでいると思われ、その副産物なのかもしれない。
このなかで末永さんは、赤木の代表シリーズとなった「拳銃無頼帖」シリーズの原作者城戸禮(「禮」の偏は正字体のしめすへんでなく、新字体の「ネ」)は、貸本小説のベストセラー作家であったことを指摘する。そこから赤木の主演作品、ひいてはそれを含み込む日活アクション映画と貸本文化の親和性を見いだすのである。
この小説も日活アクション映画も、同じような年齢層をターゲットにしており、その客層は共通していた。つまり、城戸作品と貸本と日活アクションの狙う層は、ほぼ同じだったのである。(127頁)
先に引用した関川さんの文章にも、日活映画は当時の「知識人」と無縁であったとあり、末永さんの認識はやはり共通する。本書の場合、日活映画だけでなく、その原作を媒介に、ほぼ同じ時期、同じ層に人気を誇っていた「貸本文化」と接続させ、より立体的に時代相を描き出すことに成功している。
「プログラム・ピクチャー」について、以前その正確な意味を知りたいと思ったことがある(→1/28条)。本書を読んで、これまでのなかでももっとも明快な解説に出会い、胸のつかえが下りた。末永さんは「通常の映画」にプログラム・ピクチャーを対置する。「通常の映画」は企画が先にあって資金を集め、配給映画会社を探し、制作が実現するというプロセスを踏む。
しかし、プログラム・ピクチャーは、まず上映スケジュールが先に決っているのだ。映画会社は一定の期間(例えば一週間ごと)に新作を傘下の映画館に配給しなければならない。(…)映画ファンは週に複数回、映画館に通うことも珍しくなかったので、同じ映画を長期間上映することはできなかったため、大量の作品を「生産」しなければならなかった。(65頁)
なるほどプログラム・ピクチャーは「完成の期日があらかじめ決められて」いたのだ。末永さんも本書で触れているが、なるほど黒澤映画はプログラム・ピクチャーになり得ないわけである。となれば、日活映画だけでなく、昭和30年代、日本映画の黄金期におけるプログラム・ピクチャー全体が貸本小説と通底し、ひとつの時代相を形成しているような気がする。
これから日活映画を観るときに座右に置き参照する本が一冊増えた。