栄光の映画美術

映画美術に賭けた男

松尾昭典監督の佳品「人間狩り」で、殺人犯の大坂志郎が靴修理の仕事をしながら身を潜めて暮らす町屋駅前の陋巷が、ロケではなくオープンセットだと知って驚いた。川本三郎さんの『東京の空の下、今日も町歩き』*1ちくま文庫)の文庫版での再読で知ったのである(→10/13条)。
元版が出たのは2003年11月だが、そのときには映画に絡んだ記事はさほど目にとまらなかったとおぼしい。この3年間で、わたしがいかに急速に旧作日本映画(しかも日活アクション)の世界に染まっていったかがよくわかる。
さて、川本さんの本で挙げられていたのが、美術監督中村公彦さんの『映画美術に賭けた男』*2草思社)だった。「人間狩り」の美術を担当したのが中村さんなのだ。この本を読みたいがために、しばらくぶりでネット古書店を利用した。
中村さんは熊本生まれで、「城下の人」石光真清の親戚にあたり、一時石光邸に住んでいたことがあるという。祖父は日清戦争で名を挙げた陸軍経理畑の重鎮で男爵・貴族院議員野田豁通である。熊本の名門済々黌を出た中村さんは、絵が好きで画業を志したものの、生活のため東京でサラリーマンとなる。しかし敗戦は中村さんの進路を大きく変えた。ムーラン・ルージュを根城に、劇団の舞台美術をてがけるようになるのである。
ムーラン・ルージュ解散のあとは、知人の紹介で松竹に入り映画美術の仕事に携わる。そして1954年の日活の製作再開にともない日活に移籍、日活アクション黄金期の舞台美術を手がけたものの、映画界の衰退により美術予算も大幅に削られるなか、専属契約を解消してフリーになり、その後は映画美術の経験を生かしてインテリア・デザインの事務所を開設し、その方面で活躍する。
本書では、中村さんの以上のような経歴から、映画美術の仕事とは何かという具体的な解説、また、美術監督として組んだ映画監督とその作品について、そのときの経験を回想するといった内容となっている。正確には岩本憲児・佐伯知紀両氏による中村さんの聞き書である。
「人間狩り」の美術が中村さんだったということももちろんだが、それ以上に驚いたのは、過去(といってもここ一、二年)わたしが観た「名作」に属する映画の多くを中村さんが美術監督として関わっていたことだった。
松竹に入った中村さんは、見習い時代に小津安二郎木下恵介両監督につき、さらに木下監督の弟子である小林正樹監督と組む。日活に移ってからは、川島雄三今村昌平井上梅次松尾昭典、変わり種としては田中絹代監督作品などにも関わった。
作品でいえば(※は観た作品)、「麦秋」(小津、助手として)、「日本の悲劇」「女の園」※「二十四の瞳」※(木下)、「壁あつき部屋」(小林)、「青春怪談」※(市川崑)、「愛のお荷物」※「あした来る人」※「銀座二十四帖」※「風船」「わが町」「洲崎パラダイス 赤信号」※「飢える魂(正・続)」「幕末太陽傳」※(川島雄三)、「死の十字路」※「鷲と鷹」※「嵐を呼ぶ男」「夜の牙」※「夫婦百景」※「素晴らしき男性」※(井上梅次)、「にあんちゃん」「豚と軍艦」※「にっぽん昆虫記」「赤い殺意」※(今村昌平)、「東京の暴れん坊」※(斎藤武市)、「人間狩り」※「金門島にかける橋」※「敗れざる者」(松尾昭典)、「キューポラのある街」(浦山桐郎)などなど。壮観、栄えあるフィルモグラフィだ。
「これも中村さん」「あれも中村さん」という作品の連続で、去年から今年にかけて面白いと感じた映画が上記の作品のなかにぴったり収まってくるから驚くほかない。
川島作品で言えば、「洲崎パラダイス 赤信号」や「幕末太陽傳」のセットやロケの話、今村作品では「豚と軍艦」「にっぽん昆虫記」の話、井上作品では「嵐を呼ぶ男」の話など、撮影時のスナップがたくさん収められており、映画裏話としても非常に面白い。
大坂志郎ファンとしては、中村さんと大坂さんは「雀友」であり、中村さんから見た大坂さんが「わりと人見知りをするほうで、そんなに広く交際する人では」ないこと、「とにかく温厚な人」という思い出話が嬉しい。その大坂さんが出た「人間狩り」のオープンセットは、中村さんにとっても自慢のできばえだった。

また、喫茶店「花園」の室内から窓を通して見渡せるドブ川沿いの路地のオープンセットは、おそらくセットと気づく人はいないでしょう。そう思われないところが、美術監督の冥利に尽きるところです。(214頁)
まさしくわたしもあのどぶ川沿いの路地のたたずまいをセットとは思わなかった。ロケだと思い込んでいたのである。
美術監督とは、たんなる設計屋、デザイナーではない。監督の理念を理解し、脚本を読んで何を表現したいのか、演出の形態をくみ取ったうえで、監督が考える表現の方法を美術的に具象化しなければならない。イメージを作る人、イマジネーターだとする。
セットについてあれこれ細かな指示を出す監督は少なかったということで、これは監督が中村さんを信頼していたことの裏返しになるだろうが、いかに中村さんが脚本の意図を汲んで美術のセットに具現化していたかということを物語っているだろう。カメラマンや美術監督という裏方でしかも映画には欠かせない人びとの書いた本を読むと、そのたびに映画への理解が深まり、見方が変わってゆく。その変化を体感するのが、いまのところ楽しくてしょうがない。