松本哉さん最後の荷風本

永井荷風という生き方

松本哉さんの突然の訃報(亡くなったのは15日)に驚いた。今月集英社新書から新著永井荷風という生き方』*1が出るのを知っていたから。はからずも遺著ということになってしまったが、こういうタイミングだから、亡くなる以前にお手元には届けられたのだろうか。
訃報記事で、松本哉という名前はペンネームであり、喪主であるご長男がそのお名前であったことを知った。お子さんの名前をペンネームに借りていたことになるのか、あるいは、ペンネームをそのままお子さんの名前にしたのか。
癌だったというから、それまで病と闘っておられたのだろう。正直言えば、「松本さんまた荷風本を出すのか」と本書の近刊案内を見たとき思ったものだったが、このように訃報を知ると、死期を知っていたかどうかは別として、死というものが目の前に近づいていることを悟った松本さんは、いまいちど大好きな荷風に立ち戻ることを選んだのだ。憚りながら、『永井荷風という生き方』と名づけた本を出したことは、荷風を追いつづけた松本さんの理想的な終着点だったのではないか。
記憶が定かではないが、わたしが松本さんの本に親しむようになったのは、東京に来てからだと思う。松本さんの著書には大きく分けて三つの系統がある。ひとつは『永井荷風という生き方』が締めくくりとなった荷風論(A)、ひとつは隅田川など東京東部の「川の手」地域を主に散策した東京散策・絵図本(B)、もうひとつは、荷風以外の、寺田寅彦幸田露伴を論じた文人本(C)である。わたしが持っている松本さんの本をリストアップして、上記ジャンルの記号を付す。

  1. B『すみだ川横丁絵巻』(三省堂、1986年)ISBN:4385412111(→旧読前読後2000/11/7条
  2. B『すみだ川気まま絵図』(三省堂、1991年/元版1985年)ISBN:4385431612
  3. A『永井荷風の東京空間』(三省堂、1992年)ISBN:4309008097
  4. A『永井荷風ひとり暮し』(三省堂、1994年→朝日文庫1999年)ISBN:4385355592ISBN:4022642033
  5. B『すみだ川を渡った花嫁』(河出書房新社、1995年)ISBN:4309010202(→2004/5/28条
  6. B『ぶらり東京絵図』(三省堂、1996年)ISBN:4385357498
  7. A『荷風極楽』(三省堂、1998年→朝日文庫、2001年)ISBN:4385358990ISBN:4022642815(→旧読前読後2001/10/30条
  8. C『寺田寅彦は忘れた頃にやって来る』(集英社新書、2002年)ISBN:4087201449(→旧読前読後2002/5/23条
  9. A『女たちの荷風』(白水社、2002年)ISBN:4560049807(旧読前読後2002/11/6条)
  10. C『幸田露伴と明治の東京』(PHP新書、2003年)ISBN:456963348X(→2003/12/30条
  11. A『永井荷風という生き方』(本書)

その他、B系列とおぼしき本に『東京下町散策図』『大江戸散歩絵図』(ともに新人物往来社)の二著あり、また、C系列に『芥川龍之介の顔』(三省堂)があるが、持っていない。
上記11冊(文庫版も入れると13冊)のうち、新刊発売時に購入した最初が、おそらく『荷風極楽』ではあるまいか。東京に移った年のことで記録に残していないが、同書の文庫版が出たときにも、そのような記憶を綴っている。それ以前に出た本については、『永井荷風の東京空間』はたしかまだ新刊書店に並んでいたのでそれを購い、他は古本で入手したのではなかったか。
「旧読前読後」に松本さんの名前が最初に登場するのは、『すみだ川横丁絵巻』を古本屋で購入したときである。その後の読書記録は上記書目の最後にリンクを張っておいた。
リアルで特徴をうまく捉えた人物画や、松本調とでも言うべき独特の俯瞰的な絵地図は大好きで、とりわけ地図は眺めて見飽きない。好きな荷風の作品や日記を細かく読み込み、時々の関心や自分の体験に即して荷風像を作り上げる手法は、文芸評論とも異なった、趣味として荷風を享受する羨ましき究極的な姿と言ってよい。
松本さんはその姿勢を最後まで貫いた。『永井荷風という生き方』のテーマは「老い」である。「老い」という視点から荷風の作品や日記を読むと、また今までと違ったことが見えてくる。老いてからふりかえる若き頃の恋愛や付き合った女性たち、加齢とともに襲ってくる病気や性欲の減退、医者や病院との付き合い方、老いてからの世間との向き合い方。
永井永光さんの『父 荷風』(白水社)に挿絵を添えた余禄で、松本さんは初めて『断腸亭日乗』原本を手にとって見る機会を得たという。光沢のある雁皮紙に丁寧に墨書され、これまで厳重に保管されてきた原本を見た松本さんは、これを「美術品」だとした。

荷風が自分で作った「原本」を見て、これほど魂のこもったものであれば、それによって自分の命が救われるかもしれないと思った。荷風が孤独の死を遂げたことはよく知られているが、『断腸亭日乗』四十三巻は生涯の伴侶であり、生きている証しだった。それを残したことがどれほど自らの死を慰めたことか計り知れない。(52頁)
原本に触れることは、文庫版や全集版でただテキストを読んだだけではわからない、新しい発見をもたらしてくれる。
「平成十八年(二〇〇六)盛夏」と奥にある「あとがき」には、こんなことが書いてある。
しかし、老いとともにやって来るのは楽しいことばかりではない。数え上げるのもおぞましい不幸、病苦、忍耐……。げんに、本書の原稿を作り上げるにも、若い時のようにすんなりと仕上がらなかった。
著者が亡くなった後に読んでいるから、この部分が身に沁みる。最後まで荷風と寄り添うように生きた松本さんのご冥福をお祈りしたい。これから松本さんの荷風本やイラストが入った絵地図の新著を読めなくなることは残念きわまりない。