第86 フジタと達三の秋田

千秋公園の堀

家を不在にしていたため、しばらく記事が中断していた。秋田市に所用があり、滞在していたのである。ここ数年秋田と言えば県南内陸部の横手を訪れる機会がほとんどだったが、今年に入り急に県庁所在地である秋田市に赴く機会が増え、今回で三度目となる。
それまでは日程も詰まって慌ただしく、所用を済ませることだけで精一杯だった。用務先以外の場所にはほとんど訪れることができなかったのである。これに対し今回は日程的にも多少余裕を持たせてあったため、夜に繁華街の川反(かわばた)できりたんぽ鍋やしょっつる鍋いぶりがっこやハタハタ塩焼き、とんぶりなど、秋田名物を存分に味わうことができたし、帰る直前にようやく念願の場所を訪れることが叶ったのだった。
秋田市もわが山形市も、駅がお城のすぐそばにある。秋田駅を出てしばらく歩くと右手にお殿様であった佐竹氏の居城久保田城の広々としたお堀が目に入る。お堀を渡り大手門があった場所から奥の旧久保田城内が「千秋公園」として整備され、県民会館・市立図書館など公共施設が設けられている。
目指す「財団法人平野政吉美術館」は、堀を渡ってすぐ右手にある県立美術館のなかにある。込み入った関係だが、建物自体は秋田県立美術館であり、「財団法人平野政吉美術館」に管理・運営委託がなされているということらしい。展示物は平野政吉コレクションがメインである。
平野政吉コレクションといえば、藤田嗣治。フジタ作品のコレクションでは日本随一というここ平野政吉美術館のことは、近藤史人『藤田嗣治「異邦人」の生涯』*1講談社文庫、→3/12条)で知り、また春に東京国立近代美術館で開催された「藤田嗣治展」では、平野コレクションのフジタ作品の多くを観ることができたのだった(→3/31条)。
平野政吉美術館の目玉は、縦3.65メートル、横20.5メートルの巨大壁画(といっても巨大なキャンバス四枚を並べたもの)「秋田の行事」だ。竿燈やかまくらなど、秋田の四季の祭事を右から左に時期を追って描く風俗画屏風式の大壁画で、フジタは昭和12年の日本滞在時、平野政吉のたっての希望により、秋田にやってきて平野邸の蔵の中で、わずか15日間で完成させたのである。
ワクワクしながら館内に入ると、チケットを買い求めるところですでに展示室の中がうかがえ、「秋田の行事」が目に飛び込んできたので興奮してしまった。体育館のような広さで天井が高いメイン展示室の正面横いっぱいに壁画が展示されている。画面の大きさが大きさゆえ、描かれている対象も大ぶりなのではあるが、人物やこまごまとした小物の描かれ方は紛れもなくフジタであり、祭りに参加する人びとの躍動感あふれる様子が、裸婦画にも共通する陰影をつけた筋肉質な体つきで描かれる。
近づいて目を凝らし、また離れては全体を眺め入り、二階の廻廊から見下ろすかっこうでためつすがめつ、たっぷり見入る。二階廻廊には西洋名画が展示されていたのだが、一階の「秋田の行事」と、「藤田嗣治展」にも展示されていた「眠れる女」「北平の力士」「私の画室」藤田作品や、彼の版画、素描を観るだけで大満足。「秋田の行事」はここの外に出ることはまずなかろうから、秋田に来てぜひ観るべき作品であり、これを観るだけで秋田に来た甲斐があるほどの、秋田の宝であると思う。
千秋公園の落ち葉
おりしも秋田は紅葉まっ盛りで空気も清々しい。千秋公園の木々も黄色や赤に彩られ、歩道に散る落ち葉にさえ興趣が感ぜられる。平野政吉美術館のすぐ隣に「秋田市立図書館明徳館」があり、二階には、秋田市出身の作家石川達三を顕彰した「石川達三記念室」がある。部屋のなかには著書や単行本、各種履歴資料のほか、愛用の文房具、ゴルフ用具、碁盤なども展示されていた。しばらくぶりに石川達三の小説でも読んでみようか、そんな気分にさせられたけれど、はたして本置き部屋のどこにあるのか、見当もつかない。
平野政吉美術館は入館料610円と高めだが、「秋田の行事」だけでも十分その価値がある。フジタ作品を観ようと思えばここに行けばいいかと思うと、秋田の人がつくづく羨ましい。これから何年かこの時期秋田を訪れることになる予定で、その都度時間を作り「秋田の行事」をはじめとするフジタ作品を観て目を洗いたい。