川島雄三・高村倉太郎コンビの名作二本

1954年に制作を再開した日活に松竹から移籍し、日活の主要作品の撮影監督として活躍した高村倉太郎さんが、ワイズ出版から著書『撮影監督 高村倉太郎』を出版したことを記念して、今日から池袋の新文芸坐で彼が撮影を担当した作品の特集上映が始まった。
ところが何たる不幸、当の高村さんはこの21日に急逝されたという貼り紙を見て暗然となる。出版記念上映が、一転追悼上映になってしまった。わたしはこれまで高村倉太郎という名前を存じ上げなかったけれども、今日観た2本はおろか、先日観た「陽のあたる坂道」も高村さんがカメラマンだったということを知った次第。追悼を込めてしみじみと鑑賞した。

洲崎パラダイス 赤信号」(1956年、日活) ※三度目
監督川島雄三/原作芝木好子/新珠三千代三橋達也轟夕起子芦川いづみ河津清三郎小沢昭一/植村謙二郎

ラピュタ阿佐ヶ谷下高井戸シネマに次いで、この映画は三度目。珍しくスクリーンでばかり観ている。前回も同じようなことを書いたが、何度観ても間然するところのない名作で、80分があっという間だった。
お互い自立しようとしても結局頼ってしまう腐れ縁の新珠・三橋の二人は言うまでもないことだからおいて、この映画はやはり轟夕起子なしには語れない。洲崎の娼婦と駆け落ちした夫がようやく戻ってきたときの、嬉しさを半分かみ殺した演技、せっかく戻ってきた夫が愛人に殺されてしまい、その遺体を確認したときの悲しさ。胸に迫る。
轟が泣き崩れている背後で、それまで別れ別れになっていた新珠・三橋が久しぶりに顔を合わせ、目と目で会話をして結局ヨリを戻し、洲崎から出てゆくラストへとつながる。新珠・三橋が台詞のない目配せだけでわかってしまうシーンがこれまたすごい。
新珠が河津を誘惑して買ってもらった反物のうち一つを轟にプレゼントする。夫が帰ってきた翌日、家族で出かけたときにその反物を仕立てた着物をちゃんと轟が着ているのがおかしい(おしろいで化粧までしている)。
この作品は鬱陶しい梅雨時という設定となっている。土砂降りの雨の中、ずぶ濡れになりながら河津と鮨を食べに出かけた新珠を狂ったように探し回る三橋の姿。雨、湿気が印象的であることに気づいた。

幕末太陽傳」(1957年、日活)
監督川島雄三フランキー堺南田洋子左幸子石原裕次郎金子信雄山岡久乃芦川いづみ小沢昭一二谷英明小林旭菅井きん西村晃/植村謙二郎/殿山泰司/織田政雄/岡田真澄梅野泰靖

かつてビデオに録画し、HDD/DVDレコーダーを買ってからはDVDにも録画しているというのに、これまで怠慢で観ていなかった傑作の誉れ高い作品。結局スクリーンが最初になったか。たしかにこれまた110分を長いと感じさせない面白さだったが、「洲崎パラダイス 赤信号」といずれかをとれと言われれば、わたしは「洲崎〜」のほうを選んでしまうかもしれない。
居残り稼業で品川宿の土蔵相模に居候して、徐々に頭角をあらわしてゆくフランキー堺。落語の「居残り左平次」「品川心中」「三枚起請」をたくみに組み合わせたコメディタッチのつくり、軽快な主人公の雰囲気とは裏腹に、恐ろしいのは、労咳であることを自覚しているため、所詮死ぬまでの命と割り切っているフランキーがときおりちらりと垣間見せる暗闇、虚無だった。
土蔵相模の筆頭女郎として張り合う南田洋子左幸子。どちらもわたしの好みのタイプだなあ。二人が庭先から一階、二階と暴れ回る乱闘シーンが壮絶。
金子信雄の相模の楼主、山岡久乃のおかみ、菅井きんの遣手婆が絶品。小沢昭一貸本屋「アバ金」も「洲崎パラダイス 赤信号」での蕎麦屋の出前同様絶妙なキャラクターだし、芦川いづみは相変わらず可愛い。長州藩の志士を演じる石原裕次郎高杉晋作)・小林旭久坂玄瑞)・二谷英明(志道聞多)はおまけみたいなようなものだ。この映画はまたいずれ観る機会があるだろうから、またそのとき今日観逃したシーンをじっくり楽しみたい。
今日は朝の10時前から上映が始まったというのに結構な大入りで、川島作品の人気の高さを再認識する。皆さん熱心である。「洲崎パラダイス 赤信号」「幕末太陽傳」と二本終わったところで、南田洋子さんのトークショーがあったので、これも拝聴。先日観た「娘の縁談」以来、南田洋子という女優がかなり気になっているのだ。えくぼがチャーミングなのである。
わたしが物心ついたとき、長門裕之南田洋子の二人は芸能界のおしどり夫婦で有名で(というか、そういう触れ込みでしか知らない世代だ)、毎年正月に芸能界のおしどり夫婦ばかりを集めたバラエティ特番があって、その中心的な二人だった。
その南田さんも72歳。ずいぶんお年を召されたなあ。あの正月番組だって、いま思えば20年以上も前のことだろうから、それだけわたしも老けたということだ。トークショーは生前高村さん自らが依頼して、本当は高村さんと南田さんで対談を行う予定だったという。高村さんという方は俳優につねに気配りを忘れない優しい撮影監督だったらしく、そんな生前の姿を思い出し、また最前列に未亡人も来場していたこともあって、時々こみあげてくるもので言葉をつまらせながら、南田さんは故人の思い出を語っておられた。
幕末太陽傳」での左幸子との三分間にわたる大乱闘シーンの秘話やら、川島監督に憧れていた話、制作再開当初の若さみなぎる日活撮影所の雰囲気など、とても興味深い裏話を聴くことができた。