『やっさもっさ』と「やっさもっさ考」

語源をさぐる

昨日書いたように、映画『やっさもっさ』を観た。“戦後三部作”の先行作『てんやわんや』が漫才コンビの名前に採られて有名になったゆえか、いまでもかろうじて生き残っているのに対し、いっぽうの「やっさもっさ」はまったく死語になってしまったと言ってよいだろう。私も意味がわからなかった。
そこで『日本国語大辞典 第二版』を引くと、「大勢で騒ぎ立てること。大騒ぎ。もめごと」という意味で、用例として浄瑠璃・歌舞伎・滑稽本があげられているから、江戸時代から使われていた言葉であることがわかる。「やっさもっさと」と「と」がつき副詞になると、「大勢が寄って騒がしく何かをし合うさま、また、もめたり混乱したりするさまを表わす語」となって、二葉亭四迷徳冨蘆花の作品が用例にあがっている。
この言葉は各地方の方言もバラエティに富んでおり面白く、そのまま辞書を読み進めていくと、新村出に「やっさもっさ考」という論考があることを知った。『語源をさぐる』*1講談社文芸文庫)に収められている。
これは別々の機会に発表された3篇をまとめ、あらためて「やっさもっさ考」と名づけ著書に収めたもので、構成は以下のようになっている。

  1. 「やっさもっさ考」(初出『毎日新聞』昭和27年2月14日)
  2. 「やっさもっさ追考」(初出『毎日新聞』昭和27年2月17日)
  3. 「やっさもっさの源流」(初出『大阪毎日新聞』昭和28年3月4日)

内容は「やっさもっさ」の語源探索エッセイというおもむきだが、面白いのは、1の冒頭で「きょうから本紙連載、獅子文六氏の新作小説の題名「やっさもっさ」は、…」とあって、この日から『やっさもっさ』の連載が開始されたのに合わせ、その語源・意味を読者に知らしめるため、斯界の第一人者たる碩学新村出(当時76歳)に寄稿が求められたのである。
ここで新村は、用例の典拠や方言の分布などを簡単に紹介しながら、最有力説である『大言海』の「ヤルサモドスサ」説をあげ、「いま直ちに賛成だと断言しかねる」としている。数日後発表された2では自説として、「ヤルサモムサ」説を提唱した。「軍陣用語」として「モドス」よりも「モム」(揉む)のほうが一般的であるというのが根拠のようだ。
さらに約1年後に発表された3では、この間新村のもとに新聞読者から寄せられた語源説を紹介し、東京の都立高校長からの「エサマサ(エッサマッサ)」説を最有力として推している。平安時代の『栄華物語』にすでに見える語で、大工たちが用材を高い所へひきあげるときの掛け声だという。
ところでさる方からメールで、テレビドラマ「木更津キャッツアイ」に、木更津の「やっさいもっさい」という踊りが出ていたよと教えてもらった。これなどは掛け声説に近いものだろう。『日本国語大辞典 第二版』には木更津(千葉)方言の情報が見えないから、ひょっとしたら貴重な情報かもしれない。
新村の論考に話を戻す。1は「テンヤワンヤは小説によって急速に普及したが、ヤッサモッサもまた同様であることが期待されよう」と結ばれている。「てんやわんや」の語は獅子文六の小説によって復活したことがわかるのである。『やっさもっさ』が新村の期待ほどでなかったのは、やはり○○やっさ・△△もっさという漫才コンビが出てこなかった(あるいは出ても売れなかった)ためなのか、小説の中味の問題なのか。
実は同じ『語源をさぐる』のなかに、「テンヤワンヤ考」という一文も収録されている。文庫本1頁ほどの短文だが、ここで新村は語源・用例を示し、旧江戸語の系統から新東京語となり、「明治大正昭和時代において標準語に昇格せる観あり」と述べ、以下のようにまとめる。

しかもこの語なおいまだそれほどの品位を具えたりとはおぼえず。ただし以上は一作家の主題としての適否とは関せざるものとす。一の方言としてもうまく活かさば、作品の題名として適当なる場合もあるべきこと言をまたざるべし。
この短文が発表されたのは昭和23年11月21日、媒体は『毎日新聞』で、翌日から同紙に『てんやわんや』の連載が開始される。つまり『てんやわんや』という題名の新聞小説が始まるにあたり、当時耳慣れない言葉だった「てんやわんや」という言葉を解説するために、その前日新村が引っぱり出されたということになるのだろう。小説が当たったことで、「てんやわんや」は言葉としての「品位」を獲得したと言えようか。
次いで数年後獅子文六が『やっさもっさ』とこれまた聞き慣れない言葉を冠した新聞小説を連載するにあたり、「てんやわんや」で味をしめた毎日新聞はまたも新村を煩わし、今度は小説開始と同時に用語解説を掲げたという流れを想像することができる。『やっさもっさ』の場合、内容はともかく、その語源研究を進展させた大きな功績があるという意味で、歴史的意義のある小説だと言うことができる。
それにしても、原作にせよ映画にせよ、「大騒ぎ」「もめごと」というわりにそれほどの大騒ぎがあったように思えなかったのは気のせいか。たんに「てんやわんや」と似た語感の言葉を書名に据えただけなのかもしれない。
なお、上記「木更津キャッツアイ」のことを教えてくださった方からは、映画では桂木洋子が演じた「シウマイ娘」について、崎陽軒のサイトに紹介されているということも教わった。これによれば、シウマイ娘が横浜駅に登場したのが昭和25年のことで、その人気ゆえに獅子文六は昭和27年に書いた『やっさもっさ』に取り入れたらしい。『やっさもっさ』登場で話題になり、さらに『張込み』などにもシウマイ娘が登場したとあるが、はて、憶えがない。汽車に乗って捜査にむかう宮口精二がシウマイ娘からシューマイの折を買いでもしていただろうか。