シングル・ファーザーと夫婦関係

娘と私

先日テレビを観ていたら“シングル・ファーザー”を取り上げた特集があった。日本語には「男やもめ」という言葉があるが、これは辞書をひくと単身者を意味するから、シングル・ファーザーという概念はかつては考えられなかったのだろうか。
取材されていた二組はいずれも離婚により子供を父親が引き取ったというパターンであったが、私も子供の父親である以上、こうなる可能性は皆無ではないのである。いまのところ非現実的ではあるが、自分がそうした立場になったときのことをあれこれ想像して、少し心が重くなった。
これで思い出したのは獅子文六の自伝的長篇小説『娘と私』新潮文庫)である。この長篇(の前半および終盤)は、いわば「父と娘」二人家族というシングル・ファーザーの物語なのである。さらに視野を広げれば、『青春怪談』の一方の親子もまたシングル・ファーザーのパターンである(映画では山村聰北原三枝)。獅子文六は自らその境遇を体験したシングル・ファーザーという家族のあり方を変奏しながら自作中に応用していたわけである。
『娘と私』は四月から(読書の合間に)少しずつ読み進めていたのだけれど、なかなか捗らなかった。フランス人の最初の妻を喪い、まだ幼い娘を小学校の寄宿舎に預け、娘の大病に胸を痛めるといった序盤の物語が多少重かったということもある。
ところが今回、シングル・ファーザーという言葉が頭にひっかかったことにより、『娘と私』が俄然読書生活の最上位に浮上してきたのだった。
そこで読み進めると、ちょうど日本人の後妻と再婚し、仕事の面でも『金色青春譜』の執筆や初の新聞小説悦ちゃん』の成功によって人気作家にのぼりつめてゆくというくだりに立ち至り、そこから最後まではドライブ感がついて一気に読み終えてしまった。やはり獅子文六は面白い。
さて先ほど本書のことをシングル・ファーザーという言葉で表現したけれども、父と娘との関係を軸にはしながらも、実際のところは夫婦の物語であると言える。シングル・ファーザーの物語であると同時に、中年夫婦のあり方(性生活も含め)というきわめて生々しくかつすぐれて現代的な問題を、自身の経験を書くことでえぐり出した小説であるのだ。
扉裏には「亡き静子にささぐ」という後妻への献辞があることがそれを物語っているし、もとより執筆の動機は亡き後妻についてのことを書いてくれという依頼にあった。自跋のなかでも、

私にとって、亡妻と、私の娘とは、離すべからざるものであった。亡妻を娶った動機も、娘の義母として適当の人間と、考えたからであり、事実、彼女は、娘を、一人前に育て上げてくれ、そして、世を去った。彼女の追憶のどんな断片にも、常に、私の娘が附随している。亡妻のことを書くのは、私の娘のことを書くことになり、私の娘のことを書くのは、亡妻のことを書くことになるのである。
と述べられ、前妻との間にもうけた一人娘の継母として、娘を育て、しかしながら娘の結婚を見ずに亡くなった後妻への哀切きわまる愛情吐露の物語が、夫婦の間の山あり谷ありの出来事に即したかたちで細かい襞の部分まで綴られている。
いま引用した部分に、後妻を娶った動機に「娘の義母として適当の人間」であったからとある。これは今の世の中では問題発言となるだろう。作中では少し詳しくこんなふうに書かれている。
必要のために結婚するので、愛情のためではなかった。勿論、私は、嫌悪する女を、妻とする気はないが、惚れた女や、美人や、才媛でなくても、一向、構わなかった。私の家庭生活の協力者として、麻里の義母として、役に立ってくれる女なら、他のことは、大抵、我慢するという気持だった。(110頁)
こんな男性中心の手前勝手な考え方は、フェミニズムの論客にとって批判のための好餌になるに違いない。私はフェミニズムの考え方云々は別にして、フェミニストという人種が好きではないので、この部分がそんなふうに取り上げられたらと想像すると、正直いたたまれない。
いずれにせよいまの視点から眺めれば、『娘と私』という長篇は、シングル・ファーザーやフェミニズムという論点で読み解くことも可能な、興味深い小説であると思う。
ただ私はそうした視点だけでなく、この小説が獅子文六という作家を研究、いや、知るうえでとても重要な作品であることに注目したい。「わが身辺に起きた事実を、そのままに書いた」と自跋で述べるように、この小説では、妻との関係娘との関係という家庭生活の事柄だけでなく、作家としての生活についても、とても興味深い情報を提供しているからである。
新青年』に『金色青春譜』を連載してある程度知名度が上がり、『悦ちゃん』が爆発的人気を呼ぶ(『悦ちゃん』もシングル・ファーザーが再婚する物語なのだそうだ)。さらに『海軍』執筆の動機や、戦後後妻の実家のある愛媛に逼塞し、そこでの生活に取材した『てんやわんや』で戦後直後の世相を田舎の視点から諷刺、また東京に戻って駿河台で生活したことに着想を得た『自由学校』の執筆事情などなど、獅子文六文学を知る貴重な証言の数々が、読書を促進させた理由のひとつでもあった。
傑作『自由学校』は後妻が急逝する前から依頼されていたが、後妻の逝去で起筆が先延ばしにされ、結局百ヶ日を機に書き始められた。あれだけ破天荒な登場人物とストーリーになったのは、当時の打ちひしがれた作者の心情の裏返しであり、「およそ、私自身と縁遠い人物や、環境を選び、空虚な自由の名の下に、ガヤガヤする世の中を、書こうとした」ものだったという。
この作品を原作とした映画「娘と私」も面白く、そして泣かされたものだった(→1/25条)。映画では作家生活の面はほとんど捨象され、父と娘、夫と妻の関係が中心に描かれていたが、主人公に山村聰、娘に星由里子、最初の妻にフランソワーズ・モレシャン、後妻に原節子という配役で、山村聰原節子が中年夫婦の繊細な性の問題を匂わせるあたりにどきりとさせられ、また、自分の理想とする家をようやく大磯に持つことができたにもかかわらず、引っ越し目前で倒れた原節子の無念さに涙したのである。