巨人ファンの嘆き

日本プロ野球12球団のうち、読売巨人軍(以下巨人と略)のファンが占める割合は圧倒的なはずである。本当であれば仲間が大勢いるはずなのだから大手をふって歩けばいいものの、肩身の狭い思いをしながらせせこましく生きているのはなぜだろう。
いや、私にもかつて、堂々と自分は巨人ファンであることを宣言し、選手各個人の応援歌を覚えてスタンドで応援していた時代があった。ところがいまやこのていたらく。私の場合巨人贔屓は必ずしもアンチ巨人を排除するものではなく、プロ野球好きでたまたま巨人という球団が好きなだけなのだが、巨人ファンであると言うと白眼視に近い反応を受ける。
こうした巨人ファンの卑屈な態度は昔からのことらしい。山口瞳さんは「かくれジャイアンツ」という一文でこんなことを書いている。

巨人軍が好きだと言ってしまうのは、時によって恥ずかしいことであるらしい。いわゆる野球通にはアンチ・ジャイアンツが多いのである。それに判官びいきということもある。俺は巨人軍だと言うのは、何やら子供っぽく見られる気配がある。まるでYGという野球帽をかぶっているように――。(『草野球必勝法』文春文庫)
山口さん自身は、どこのチームが好きかと問われた時、「私には特別に好きなチームはない。野球が好きなだけである」と答え、しつこく聞かれるときには「特定のチームが好きだというほど素人ではない」と突き放すという。
私は山口瞳さんはアンチ巨人だと思っていたから、これを読んで少し安心した。先日読み終えた『男性自身 巨人ファン善人説』*1新潮文庫)の、タイトルにもなっている「巨人ファン善人説」というエッセイは、タイトルを見て逆説的であることを予測させるが、とりたてて巨人ファンを皮肉っている内容でなかったことが逆に意外だった。
でも巨人ファンを次のように書く山口さんは、やはりアンチ巨人なのだろうなあ。
私は、特に、巨人ビイキの老人が好きだ。頑固一徹の老人が、実は涙ぐましいまでの巨人ファンであることを知ったりすると嬉しくなってしまう。こういう人は、テレビの番組でいうと「水戸黄門」や「銭形平次」のファンなのである。(「巨人ファン善人説」)
解説の嵐山光三郎さんは大の巨人ファンで、「巨人ファンというのは、巨人ファンである自分を心のどこかで恥じている部分があって、巨人ファンであるがゆえにバカにされたつらい体験がある」と書いているが、この部分を涙なしでは読めなかった。これほど見事に巨人ファンの哀しさをついた文章はないからだ。
さて、本書『男性自身 巨人ファン善人説』のなかできらりと光った名文をひとつ。
いま、芸妓というのは、どこへ行っても、だいたいにおいて、若くて四十歳、時によると、七十歳以上という人が来る。私は、芸妓がくると、いつでも、春陽堂版の『明治大正文学全集』の茶色の紙函を思いだす。(「講演旅行」)

*1:ISBN4101111197