ベースボールという神話

ベースボールの夢

社会学者の内田隆三さんは、メジャーリーグと日本のプロ野球の違いを次のように書いている。

そんな日本人がアメリカに憧れた高度成長の時代、少年漫画『巨人の星』の主人公、星飛雄馬は大リーグボール=養成ギプスという肉体改造用の金属バネを嵌められ、スパルタ式の指導で育てられる。その時代、アメリカの大リーグ、つまりメジャーリーグは異次元の領域にあり、徹底した肉体改造なしではたどりつけない神話的な彼岸に創造されたといえよう。
巨人の星』を見ていた世代にとっては、たしかに「大リーグボール=養成ギプス」を例に出されると、メジャーリーグが異次元の領域にあったという指摘は説得力がある。
巨人の星』の時代には大リーグは彼岸でしかなかったが、中学生の頃(80年代はじめ)になると、大リーグの選手名鑑などを買って各チームの選手をおぼえるようになった。レジー・ジャクソンピート・ローズジョージ・ブレットの名がそらであがるが、とあるサイトで調べてみると、こんな選手たちの名前が記憶の隅にわずかに残っていた。
スティーブ・カールトン、トム・シーバー、ロン・ギドリー、ドン・サットン、リッチ・ゴセージゲイロード・ペリー(たしかスピッツボール)、フィル・ニークロ(たしかナックルボール)、ジョニー・ベンチロッド・カルーマイク・シュミットカール・ヤストレムスキー
もちろんいまと違ってメジャーリーグの試合を簡単にテレビで観戦できる環境にはなかったから、このときの興味は選手名鑑を「読んで」、そこに載っている写真や通算記録を眺めるだけにとどまったのである。やはりブッキッシュなのだ。
さて上に引用した内田さんの新著は、『ベースボールの夢―アメリカ人は何をはじめたのか』*1岩波新書)という本だ。ベースボールというスポーツの成り立ちから、メジャーリーグとしてアメリカ国内に普及してゆく過程を社会学的に考察した書物。
本書のキーワードをあげれば、「神話的起源」「都市と田園」「ミドルクラスと新中間層」といったところか。
ベースボールの起源は諸説あるが、アメリカで定説となっている「クーパースタウン」起源説とは、南北戦争時の北軍の軍人だったダブルデー将軍が、若い頃クーパースタウンでその原初的な遊戯を行ったことに起源があるという説だ。
しかしこれは創られた「神話」であり、内田さんはなぜそうした神話が創造されたのかを当時の社会的背景を探ることで明らかにする。南北戦争の象徴的軍人に起源を結びつけることで、ベースボールの成立を国民国家の統合と結びつけたというわけである。
さらにそれがニューヨークなど大都市に住む人びとに普及していった点が次の問題となる。資本主義が展開して都市化が進んでゆくなか、都市に生活するホワイトカラーの人びとは組織のなかに身を置くことにより、仕事が部分化・標準化され、かつてのような自立した人間となることは難しくなっていた。
知力や体力、男らしさを発揮して目の前の生活を切り開く「自立した人間」となるという理想を肉体的次元で実現するスポーツとして用意されたのが、ベースボールだったというのだ。したがって初期ベースボールには人種差別、女性差別が根強く存在した。
都市生活者によって受け入れられたスポーツゆえ、公務に拘束される彼らのため、ベースボールはルールのなかにさまざまな時間的制限を取り込んでゆく。スリーアウト制も九回制もその点と深くかかわるという。
それにもかかわらず、ベースボールのなかには田園との密接な関係、農村志向が孕まれている。これは、都市と農村の中間に「スモールタウン」と呼ばれた独自の社会的価値観をもつコミュニティが存在し、ベースボールはその自律的な人間社会のなかに足場を据えているという幻像がつくりあげられたのである。
こうして「そこで重要なことは、虚構に彩られた神話がどのような「社会過程」のなかで創出されたのかという点にある。神話的な語りを生み出し、受け入れた人々が生きていた社会過程、そしてそこにはらまれた生の様式を明らかにしなければならない」(94頁)という問題関心で、ベースボールがアメリカを代表とするスポーツとなった過程が読み解かれてゆく。
それを考えれば、そんな思想をもったベースボールが日本人に受け入れられて「野球」となり、母国アメリカを打ち破るほどまでになったこと、イチローや松井、松坂がトップ選手として活躍するようになったことなど、彼我の差異が縮まったかのように見える現象は、上記の成立神話を考えれば幻影でしかなく、アメリカにとっては痛くもかゆくもないのかもしれない。