山口瞳がしっくりくる季節

男性自身 生き残り

先日、文庫で唯一持っていなかった山口瞳『単身赴任』(講談社文庫)を手に入れることができた(→6/8条)。山口さんの文庫本を並べている棚に収め、眺めながら一人悦に入る。
文庫本が揃ったのを機会に、山口さんの本を読もうと思い立ち、『男性自身 生き残り』*1新潮文庫)を読むことにした。文庫版男性自身を新しいほうから古いほうに遡りつつ読んでいる。本の最後に収められている文章から読むわけではないから、螺旋階段を降りていくように読んでいるわけだ。
前の冊である『英雄の死』を読んだときにも似たようなことを書いたことに気づいた(→2004/4/13条2004/4/14条)。「たっぷりとあいだに時間をとって、ともすれば間隔をあけすぎてそのまま忘れ去ってしまうのではないかというくらいのペース」で読んでいるとあるが、このときは、そのまた前の冊『巨人ファン善人説』から半年足らずしか間隔があいていない。
これに対し今回は一年以上もあけてしまった。しかも、何かきっかけがないと手をつけないという心がけはいただけない。せいぜい半年くらいの間隔をおいて、ゆったり山口さんの文章を味わうのが理想的だ。
前の『英雄の死』のとき、僻論家たる山口瞳の原点ともいうべき文章にしばしば突きあたるようになってきたと書いた。今回の『生き残り』ではその頻度がますます高くなってきたような気がする。逆に、年をとるにつれ、“命がけの僻論家”たる側面は角が取れて丸くなっていると言い換えるべきなのだろう。
僻論家、偏軒と呼ぶにふさわしい断定的なもの言いを黙読していると、その字面を読み進めるリズムというか、「聞こえない声」が、知らずしらず江分利満氏を演じた小林桂樹さんのそれになってくるから不思議だ。ことに『生き残り』所収の文章は「小林桂樹度」が高い。小林桂樹さんの声色とリズムを頭に浮かべながら山口さんの文章を黙読すると、実にしっくりくる。

私はチューリップという花が嫌いだ。見ていてもムカムカする。あの赤だとか黄だとか紫だとかいう花は美しいのだろうか。それがわからない。葉にも風情がない。総じて洋花というものを好まない。
チューリップを植えた庭を好まない。庭にチューリップを植える人を好かない。その神経がわからない。
(…)ボタンも嫌いだ。ただし、ボタンの似合う庭もあるのである。そういうときのボタンはいい。私の所では駄目だ。同じような意味において菊も嫌いだ。丹精した菊の鉢なんかを貰うと本当に困る。しかし、野菊はいい。
白樺が嫌いだ。それは、山にある白樺が嫌いなのではなくて、庭に植えてある白樺が嫌いだという意味である。庭に白樺を植えるという人が嫌いだ。正直に言って、庭に白樺を植えるという人の神経がわからないのである。(「昼猶闇き」)
引用が長くなったが、こんな畳みかけるように嫌いなものを並べ、その偏屈な理由を述べ立てるあたりのリズムの爽快なことと言ったらない。
本書においても心にぐっと迫る文章が多かった。この本が特別なのか、あるいはわたしのいまの心境が山口さんの文章を真綿に水が沁みるように受けつける状態なのか、「愛惜、一読措くあたわざる」という表現がぴったりくるような、とても素晴らしい文章ばかり。
最後のほうに「大関貴ノ花」という、貴ノ花、つまり故二子山親方を讃えた文章があった。これを読んで、やっぱり胸に迫るものがあった。山口さんは最初のうち貴ノ花の相撲を好まなかったという。しかし彼が大関になったあたりから、俄然好きな力士になった。
私は目を見張るという思いをした。相撲が変ったのである。それは、あきらかに、彼の精進を物語っていた。私は、いま、貴ノ花ほどマットウな相撲を取っている力士は一人もいないと思っている。頭をさげて相手の胸板に激しくぶつかって前褌を取る。私は、貴ノ花が、変ったり逃げたりするのを見たことがない。(…)いまや、貴ノ花が土俵上で塩をなめると、私の口のなかが塩辛くなってくる。
「以て瞑すべし」という言葉が見事に当てはまる、絶妙なる貴ノ花へのオマージュである。ここで書かれている、パーティで出会った貴ノ花との挿話もまたいいのだが、これ以上触れないでおく*2
貴ノ花の話題にかぎらず、最近世間を騒がせたタイムリーな話題とシンクロする文章に出くわして驚くこともあった。文庫版のタイトルに採られた「生き残り」は、政府がグアム島に生存が伝えられた旧日本兵の捜索を打ち切ったニュースに関して書かれた一文で、最後にこう締めくくられる。
日本兵の捜索には何百億円でも何千億円でも投入すべきだと私は思う。余計なことを言うようだけれど、また私は感傷的になり過ぎているかもしれないけれど、南の島に残存する一人の日本兵望郷の念以上に純粋にして激しいものはこの世にないと思うからである。(102頁、太字は原文傍点)
そして、かつて『世相講談』に書いた「生き残り」という短篇での思いを重ね合わせている。もし旧日本兵がいまなお生存していることがあれば、戦後60年、その「望郷の念」はいまなお純粋で激しいだろうかと、想像をしてしまう。

*1:ISBN:4101111162

*2:その他、古今亭志ん生の「大津絵」を聞いた、あの有名な一夜の出来事をふりかえった「古今亭志ん生」という一篇も、いい。