永井龍男の俳句

永井龍男全集12

江國滋さんの『俳句とあそぶ法』*1朝日文庫、旧読前読後2002/3/23条)ほど、俳句の世界への入門書としてふさわしい本はない。ときどき書棚の“江國滋文庫コーナー”から同書を取り出し、めくることがある。
この本を読んで、久保田万太郎に次いで自分の好みのツボにはまったのが、東門居こと永井龍男さんの句だった。鎌倉は幕府の東御門跡に居を構えたことに由来する、ちょっと風変わりな俳名も気になりつつ、万太郎と似た雰囲気を持つ句風に惹かれたのだった。
矢口純さんの本を読んでから、池島信平のことが気になり、そこから文藝春秋という出版社が視界に入ってきた。いっぽう出久根達郎さんの『かわうその祭り』を読み、満州という謎深き土地柄が印象に残った。
永井さんは満州文藝春秋社立ち上げの中心的人物として、池島信平らとともに満州に渡った。かくて読書のふたつの流れが、永井龍男さんの本を読むに到らせたことになる。昨年浦和の古本市で『永井龍男全集』の端本を購った。最終巻第12巻俳句集である(→2004/7/17条)。かねがね永井さんの俳句をじっくり味わいたいと思っていたから、この出会いは嬉しかった。
全集のうち、『文壇句会今昔』を通して読むことにする*2。「東門居句手帖」という副題が付せられている同書は、戦前から戦後昭和40年代にかけ、主として句会などのおりに詠まれた句を中心に、九百余句が採録されている。
書名にある「文壇句会」とは一般的名称でなく、文藝春秋主催の作家中心の句会がこう呼ばれていたらしい。その他久保田万太郎を中心とした「いとう句会」や「銀座百点句会」など、永井さんが参加した句会での情景も綴られているから、句集というより、句文集というべき性格の本である。
また年代順に並んでいることもあって、本書は「句手帖」でありつつ、俳句を横軸にした自伝的読み物という気配も濃厚にただよい、読みごたえがある。当然満州に渡ってからの句や雑感も収められている。
いまあらためて東門居の句を読むと、江國さんの本で触れたときとちょっと印象が異なり、すっと心のなかに沁みてこないので、正直戸惑いをおぼえた。初期の俳句には、字余り字足らずの破型が多いのも、リズム重視のわたしには受けつけないのかもしれない。
とはいえ、やっぱり住んでいた鎌倉や、東京の情景などを詠んだ句のなかに、しみじみいいなと思える句が多かった。これらが佳品かどうか判断がつかないが、わたしは次のような東門居の句が好きである。

  • 魚 の ご と 栖 ひ て 谷 戸 の 星 月 夜
  • 北 風 の 切 抜 き 残 す 冨 士 黒 し
  • 月 島 は 宵 宮 の 雨 が 癖 と い ふ
  • 格 子 木 戸 二 月 の 月 の あ る 気 配
  • 松 の 花 一 の 鳥 居 の 中 に 海
  • 大 麒 麟 ほ ど の 肩 凝 り 梅 雨 畳

「松の花一の鳥居の中に海」という句など、鎌倉鶴岡八幡宮参道の、もっとも社殿から遠い場所にある一の鳥居をくぐって後ろを振り返ると、まさに由比ヶ浜の浜辺越しに海が見える(正確には、見えたような記憶がある)情景を思い出し、ぞくぞくする。
あとがき代わりの「俳句真摯の説」という一文には、俳句仲間が句会のおりの永井さんを書いた文章が紹介されているが、澁澤秀雄によれば、永井さんは駄洒落好きで、句会でも駄洒落をよく飛ばしていたらしいことを知り、意外に思った。句会で駄洒落と言えば、戸板康二さんが第一人者だと思っていたから(→2003/6/19条)。
上に紹介したうちの最後の大麒麟(元大関)の句など、洒落っ気が横溢している。肩こりに悩まされている人間としては、大麒麟はさすがに現役時代を知らないので、「富士桜」を代わりに入れようか。それでも古いかもしれない。
またここでは、自作の俳句と小説の関係について、興味深い意見が述べられている。
句がよく出来る時は、よほど気をつけないと、散文のほうがなまってしまう。そういう経験が幾つかあって、句作の場合は文章を忘れ、文章を書く時は俳句から離れることを心がけている。私の俳句好きを知っている人は、私の小説は俳句的だと云う。一部にはそういう定評もあるらしいが、これを聞くたび、今度の作品もどこかなまった個所があって、そこをそれとなく指摘されたのだなと自戒する。俳句的な小説を書こうなどとは、夢にも思ったことはない。(227頁)
永井龍男の短篇には枯れた味わい、俳味があると思いがちだが、ご本人はこれを厳に戒めていたことを知る。エッセイはともかく、今度小説を読むとき気をつけてみたい。
昨日触れた山口瞳さんの『男性自身 生き残り』を読んでいたら、ちょうど並行して読んでいた本書『文壇句会今昔』の一節が引用されていて驚いてしまった。山口さんの引用したのは、次の文章である。
この二年ばかり(引用者注:昭和22-23年)は、句手帖に句数は少ないし、ろくな句は作っていない。生計を立てるために大わらわで、雑文でもなんでも書いた。ただ自分に才のないことは知っていたので、丁寧な文章を書くことを心がけた。この心がけは今日に及んでいる」(全集版、160頁)
山口さんはここを引いて、「永井さんにおけるこういう肌ざわりは私の大好きなところ」(「女の高笑い」)と注している。
『文壇句会今昔』では、「いとう句会」などにおける仲間だった徳川夢声宮田重雄らに対する親愛の情に満ちた追悼文的文章も含まれている。夢声の死にさいし、その佳句を紹介したうち、「死ぬまでに目安たちたる去年今年」という句が印象に残った。
東門居の句を読んでいると、どうしても万太郎の句を味わいたいという気持ちにさせられ、読了後さっそく『久保田万太郎全句集』(中央公論社)をひもといた。たとえばいまの季節にぴったりの句を拾えば、「昭和三十年六月十六日、鎌倉より東京にうつる」*3という前書つきの、
し た し さ や 梅 雨 の 高 声 両 隣
その転居先は湯島天神女坂下の二階屋であった。前の句とひとつづきで詠まれた、湯島天神町といふところ」という前書つきの、
梅 雨 ふ か き 鏡 花 ゆ か り の 地 な り け り
などという句を読むと、人情の細やかさを詠みこみ、またその土地の雰囲気を詠みこむことの、万太郎の卓越した才能にあらためて感じ入り、句集を読みふけるのだった。

*1:ISBN:4022604239

*2:この本(元版)については、2年前ふじたさん(id:foujita)さんが戸板康二・車谷弘の俳句に関連して言及された、意を尽くした一文がある。http://www.on.rim.or.jp/~kaf/days/2003-01.html

*3:今ごろ気づいたが、50年前の当日ではないか。びっくり。