縄文人は東京に失望するだろう

アースダイバー

東京は坂の町である。ということは、台地と低地から成る町ということでもある。決して平坦ではない。この凸凹の地勢をうまく利用して江戸の町ができあがり、現在の東京に受けつがれた。
このあたりは陣内秀信さんの『東京の空間人類学』*1ちくま学芸文庫)に詳しい。陣内さんは江戸の町の地形をこう表現している。

江戸は、武蔵野台地の突端に城を構え、東の沖積低地に下町の町人地、西の洪積台地に山の手の武家地を配する典型的な城下町のあり方を示していた。(25頁)
西の「洪積台地」から東の「沖積低地」に舌状に張り出した台地が七つあって、北から順に「上野台地」「本郷台地」「小石川・目白台地」「牛込台地」「四谷・麹町台地」「赤坂・麻布台地」「芝・白金台地」と名づけられている。これらの台地のはざまには、「千駄木・不忍谷」「指ヶ谷谷」「平川谷」「溜池谷」「古川谷」がそれぞれ入りこんでいる。
ここで陣内さんが「洪積台地」「沖積低地」という地質学的な言葉を出したのには、たぶん深い意味はないのだろう。別に洪積世・沖積世におけるこの地域の大陸形成を述べているわけではないからだ。
これに対し、中沢新一さんの新著『アースダイバー』*2講談社)は、東京を言葉の真の意味での「洪積台地」と「沖積低地」に区分けし、それぞれを色分けした地図を元に、都市東京の深いところに秘められた意味を抉り出そうという大胆不敵な本である。
その地図によれば、東京は大昔、複雑な地形をしたフィヨルド状の海岸地形だったことがわかるという。
そこに縄文時代から弥生時代にかけての、集落の跡をマッピングしていく。貝塚や土器や石器が発見されている場所である。そこに古くからの神社の位置を重ねていく。さらに古墳と寺院のある場所も、重ねて描く。(14頁)
かくして神社や寺院などは、変転きわまりないこの大都市のなかでも、「開発や進歩などという時間の浸食を受けにくい、「無の場所」のままとどまっている」ことがわかってくる。
徳川家康が入部してから形づくられた江戸の町はおろか、それ以前の、雑木林と湿原が広がるだけだった(?)中世、古代をさらにジャンプし、時代は一気に5000年前の縄文期へと到る。「沖積低地」がまだ一面の海だった頃の「東京」の姿が生々しく立ちのぼる。
この中沢さんの試みはとてもスリリングで、東京を見るときに新しい視点がひとつ加わったという興奮をおぼえた。ただ、江戸の歴史・明治以後の近代史との連続性を閑却してしまったせいで、逆に、牽強付会とも言われかねない、突飛な議論が組み上がったという印象もまぬがれない。たとえば次のような文章を目にしたら、近世史家や、近代史家たちは黙っていられないのではないか。
新宿という盛り場のおもしろさは、そこに弥生的な乾燥性の商品文化と、縄文的な湿地性の商品文化とが一体になって、ダイナミックな全体をつくりだしているところにある。(50頁)
東京タワーといい、赤坂といい、神宮の森といい、電波塔の立つところは、ほぼ例外なく縄文の聖地のある場所だ。放送局は記憶を情報にすりかえ、大地の霊力を広告を媒介にして資本に変換する装置なのであるから、これは当然おこりうることである。(111頁)
こんなふうに、読みながら、「ええっ、中沢さん、こんなこと言っちゃっていいの。乱暴なんじゃないの」と首をかしげてしまう箇所が多々あった。まあ東京を縄文の地図で眺めるというダイナミズムから生じる言説なのだから、暴論承知なのだろうが。でも本書に向けられる厳しい批判の矢を想像して、他人事ながら心配してしまう。
でも次のような一文には、深く共感してしまうのであった。
都心部は高台と谷間がリズミカルに交替していくことによって、都市空間が均質になってしまうのを防いでいた。その谷間がビルになってしまうことによって、東京はいまその重要な魅力を失いはじめている。(117頁)
たとえば根津の谷間にも背の高いマンションばかりが建ち並び、そこが谷間であるという感覚が失われた。と同時に、谷間に並ぶ高層マンションに視界を遮られるため、高台にいるという感覚すらおぼつかない。あれでは縄文人魂―いや、弥生土器発掘の地だから弥生人魂と言うべきか―がちっとも揺さぶられないではないか。
だから、たまに坂道のうねりがずっと先まで見通せる道に出会うと、そんな高台と谷間のリズム感を体で味わいたくなるのである。