杉田久女伝説の弁証法

花衣ぬぐやまつわる……

田辺聖子さんによる俳人杉田久女の評伝『花衣ぬぐやまつわる……―わが愛しの杉田久女』(上*1・下*2集英社文庫)を読み終えた。田辺さんの本を読むのは初めて。
杉田久女とは、『ホトトギス高浜虚子門下の女流俳人で、明治23年(1890)官吏だった父の任地鹿児島で生まれ、生涯の多くを小倉で過ごし、昭和21年太宰府町の保養院で亡くなった。享年五十七。
父の転任にともない台湾の小学校で学んでいたが、東京の女子高等師範附属高等女学校(いまのお茶の水女子大学)に入学したというから、相当の才女だったのである。
少女のような純粋な心をもち、何事にも一途で情熱的だった彼女は、師虚子に対しても熱烈たる渇仰、愛慕の心を惜しまずそそぎ、作風などの乖離から派閥の角逐が絶えなかった「ホトトギス」のなかでも一貫して忠実に虚子流の花鳥諷詠を守った。しかしその激しさゆえか虚子に疎まれ、最終的に同人から除名されるに至り、句集刊行の望みをついに果たさぬまま不遇のうちに生涯を終えた。
没後松本清張吉屋信子の評伝小説によって彼女の像(「狂女伝説」)がかたちづくられ、これが杉田久女像として流布してしまう。
田辺さんによる本書は、これまでの松本・吉屋説による久女像を虚像として廃し、真の久女像に迫ろうという試みである。
評伝叙述の方法として、プロローグ・エピローグを彼女の展墓(お墓参り)にあてるという手法を採ったことが好ましい。また、久女像再検討の方法についても、ひとまず伝説から離れ、俳人として彼女のつくった句を虚心に読むということから始められているのも歓迎できる。
本書に数多く掲載されている句を読むと、実に流麗、艶やかで、色彩感あふれるイメージに包まれていることに驚かされる。俳句=枯淡というイメージに支配されていると(この私の固定観念も問題だが)、その落差に愕然とするのである。
また文庫版口絵として収載されている彼女自筆の短冊を見ると、達筆にして雄渾、「まことに筆勢迸るごとく、なよなよとした女臭さはない」(上巻158頁)という田辺さんの表現そのままの見事な運筆に惚れ惚れとしてしまう。字は人となりをあらわすとよく言われるが、句のイメージとあわせ、情熱的ではあれとても「狂女伝説」によって歪められるような人物とは思えない。
松本清張による久女をモデルにした小説「菊枕」によって、噂にとどまっていた久女の像が定着し、吉屋信子による久女の評伝「私の見なかった人〈杉田久女〉」によりこれがさらに流布した。とくに吉屋説は、話を面白くするために句がつくられた時期を無視するという操作まで行なっているということでにわかに信じがたい。
この吉屋説に全面的に依拠して虚子と久女の関係を綴った戸板康二さんまで槍玉にあげられている。松本・吉屋説は、小説としてのフィクションの部分が多く、これが事実と誤認されて世間に広まったのである。
さらに田辺さんは本書のおしまいの方で、これらの虚説を形づくる原因をなしたのは、久女が渇仰した師虚子だったと舌鋒鋭く断罪する。その根拠としてあげられた回想や句集刊行の一件を見るかぎり、虚子の久女に対する仕打ちは酷い。
ただ、こうも思うのである。
同人除名の前々年あたりから久女が虚子に宛てて書いた手紙は六年間で230通にのぼるという。虚子は久女没後これらの一部を「国子の手紙」という文章で公開した。
ここに虚子の捏造が皆無とは言えないが、紹介されている久女の書簡を読むと、師への狂おしいまでの愛情の言葉が連ねられている。女性の弟子からこのような狂信的な手紙を次々と送りつけられた虚子もたまったものではないだろう。相手を「狂った」と思い込みたいほどの精神状態に追いつめられたのではあるまいか。
本書における田辺さんの久女伝説の払拭の試みは、高浜虚子松本清張吉屋信子らによってつくられた虚像を、別の著書や関係者の証言、作品の丹念な読み込みにもとづいて取り払うものであった。
ただ、久女の実像を明らかにしたいという思いが強いあまり、反久女側の文献を否定し、逆の立場の文献・証言を無批判に信用する姿勢が見えなくもない。久女の生き方に不寛容であった夫杉田宇内の人格まで徹底的に非難される。この反久女・親久女の双方の説を止揚するような新しい久女の評伝を読んでみたい。
個人的には、この杉田久女を通じて描かれる、虚子を頂点とした俳壇の裏事情を面白く読むことができた。水原秋桜子が虚子に反旗を翻し「馬酔木」を旗揚げしたくだりの緊迫感は無上のものだった。
離れてゆく秋桜子に対して虚子が書いた歴史小説の小品「厭な顔」が意外に(?)傑作で、高浜虚子という人物に興味を持ったのであった。