明るい昭和三十年代

昭和三十年代演習

結局先の週末の外出では、読もうと思っていた堀江敏幸さんの『象が踏んでも 回送電車4』を持っていくにはおよばなかった。電車本として読んでいた鮎川哲也さんの『憎悪の化石』*1が途中であり、そのうえ出かける前日に購入した関川夏央さんの『昭和三十年代演習』*2岩波書店)に手をつけてしまい、そのまま読み進めてしまったからだ。
映画「ALWAYS 三丁目の夕日」によって刻みつけられた“明るい昭和三十年代”イメージについて、実際その時代を生きた人びとですらそれを否定することなく受け入れてしまったため、若者がそうしたイメージを抱き、それがそのまま昭和三十年代の歴史となってしまうという傾向に警鐘を鳴らしている。
先にも触れた『憎悪の化石』は、1959(昭和34)年に発表された。足でこつこつと捜査を重ねる刑事たちが描かれている。熱海署の刑事が聞き込みのため東京にやってくる。そこでの述懐。

なれないものにとって、東京の都電ほどのりにくい交通機関はない。系統が四十ちかくあって、それが狂人の神経のように、てんでんばらばらの方角をさしてつっ走っている。伊井は以前にはじめて大阪に出張したことがあったけれど、電車ののり方になやんだ記憶はなかった。なんといっても東京の電車ほどコースが複雑で、しかものり心地のわるいものはない。(80頁)
さらに隅田川の悪臭に対しては、「どれほど間抜けな鯱や白魚でも、慢性蓄膿症でもないかぎりこの悪臭にへきえきして、二度とのぼってくることはなさそうであった」と厳しい。
便利な路面電車、オリンピックによる都市改造以前の堀割が縦横に走った水の都東京のイメージは、その時代から隔絶されたところから生まれる。だから、先日観た「風のある道」で、芦川いづみさんが水上バスに乗って清洲橋をくぐり、千住のほうまでやってくるシーンに爽やかさのみを感じてしまう。理想化された映画からは嗅覚は伝わらない。
『昭和三十年代 演習』で興味深かったのは、三島由紀夫松本清張とのあいだにただよう緊張感だった。三島は中央公論社が企画した『日本の文学』の一冊に松本清張を入れることを頑なに拒んだ。入れるなら編集委員を降りると主張した。「社会小説作家」として意欲的に創作に取り組んだものの、ことごとく黙殺され、その方向へ向かうことを断念せざるをえなかった作家が、「社会派」を標榜する推理作家の人気に拒否反応を起こしたからだという。
このなかで関川さんがあげる三島の「社会小説」とは、『青の時代』であり『宴のあと』『絹と明察』『美しい星』『愛の渇き』などである。わたしは三島の長篇のなかでも、『遅すぎた春』などの風俗小説とこれら「社会小説」が好きだ(ただし上記のうち『絹と明察』は未読)。
むろん松本清張的「社会派」もそれ以上に好きであることを告白しなければならない。驚いてしまったのは、陰謀史観に貫かれた『日本の黒い霧』に批判的な関川さんは、下山事件に他殺の線はないと見ていること。わたしがあまりに陰謀史観にとらわれて他殺説の本ばかり読んできたせいだろうか。まさか下山事件を自殺説が穏当とみなす解釈が一般的であるとは知らなかった。一般的かどうかまでは言えないまでも、関川さんの他殺説否定の論理に説得力があった。やはり歴史の解釈は一筋縄ではいかないのである。