時代への信頼

川本三郎さんの『マイ・バック・ページ*1河出文庫)を読み終えた。正直言って、東京論者・荷風論者としての川本作品を愛読してきた者としては、それらに比して全般的に共感を持って読むことのできた本ではなかった。
本書は川本さんが大学卒業後一年の就職浪人を経て朝日新聞社に入社、出版局に配属されて『週刊朝日』『朝日ジャーナル』の編集に携わり、この過程で関与した自衛官殺害事件により逮捕、解雇されるまでの数年間を振り返ったメモワールである。
全共闘運動がピークに達するとほどなく急速に退潮に転じ、かつ過激化し、連合赤軍あさま山荘事件を惹起するに至る1970年前後の時期が対象になっている。私が生まれて間もない頃だ。
しかも個人的には大学紛争、全共闘運動というものにはほとんど関心がなく、こうした政治運動に距離を置く人生を過ごしてきたから、川本さんが渦中に巻き込まれた時代の雰囲気というものを、書物などによる追体験にせよ味わったことがないのである。
そういう立場にあるゆえ、本書に正面から体当たりしての感想を持ちえなかった。ただひとつ印象に残ったことは、記者川本三郎が朝霞自衛官殺害事件の犯人たるKを運動家として信頼し、事件を引き起こしてからもニュース・ソースの秘匿という「ジャーナリストのモラル」を盾に沈黙を守ろうとしたきっかけについてのエピソードである。
Kと初めて会った時、Kは宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」が好きだといい、またギターを手にとってCCR(クリーデンス・クリヤーウォーター・リヴァイヴァル)の曲を弾いた。川本さんはこれで彼を信用したという。
結果的に裏切られ、また川本さん自身も逮捕の後いったんは否認しつづけたものの、最終的に屈して容疑を認め同僚を裏切ってしまう。この一件で川本さんは深く傷ついた。Kを信用したことについて自らの認識の甘さを反省している。
ところが、Kを信用したことについて反省しながらも、信用するに至るきっかけそのものを否定したわけではない。これらのきっかけはきわめて個人的であると同時に、ある種の歴史性ももっている。つまり川本さんは1970年前後という時代への信頼は決して消し去っていないのである。
翻ってわたしたちは果たして自分が青春時代を過ごした時代に対して信頼を置くべき何かがあったのかと考えると、暗鬱にならざるをえない。