第85 ともかく、鮫洲へ

東京の空の下、今日も町歩き

昨日川本三郎さんの『東京の空の下、今日も町歩き』のちくま文庫*1について書き、講談社刊の元版と一緒に書影を掲げた。描かれている風景こそ違え、森英二郎さんよる同じ青空の下の景色だなあと思っていたが、上下に並べてみると青空の明るさに違いがあることに気づいた。
文庫版はスキャナで読み取ったため、あるいはそれが原因かと現物を見くらべたところ、確かに違う。元版は青々と晴れ渡った昼間の青空であるのに対し、文庫版は雲や遠景にうっすら赤みがさしている。朝焼けか、夕焼けか。川本さんが訪れたのは午前中から昼間にかけてらしいが、森さんのイラストの時間が同じとはかぎらない。
そんなことをあれこれ考えていたら、実際にその場所を訪れたくなった。明日はフリーに動ける一日なので、行ってみよう。いつも利用する昭文社の地図『どこでもアウトドア 東京山手・下町散歩』*2を取り出し、あたりをつけた勝島運河にはどう行けばいいのか、調べ始めた。勝島運河には、京浜急行鮫洲駅から歩いてゆくのがいいらしい。川本さんもそのルートをたどっている。鮫洲を起点にすることに決める。
鮫洲と言えば堀江敏幸さんの『いつか王子駅で』*3新潮文庫)を思い出す。主人公の「私」は、時間給講師の仕事を終えた帰りに目黒の美術館に立ち寄り、バスに乗って居眠りをしてしまい、乗り過す。目を覚まし降りたのが鮫洲の陸運支局前。そこで彼は、かつて知り合いの女性に誘われ鮫洲の教習所についていったときのことを思い出すのである。
彼女から鮫洲に行きましょうと誘われた「私」は、読んでまもなかった岡本綺堂『半七捕物帳』の一篇「大森の鶏」を思い出し、そこで半七親分の口から出た「ともかくも鮫洲へ行ってみよう」という台詞を重ね合わせたあげく、彼女に同伴することにしたのである。
鮫洲をなかだちに、偏愛する川本さんの町歩き紀行から、これまた偏愛する堀江さんの長篇小説へと連想が飛んだ。こうなると「大森の鶏」も一読せねばなるまい。老後のためと我慢して読まずにいた『半七捕物帳』の光文社文庫版(第四巻*4)を、廊下にある文庫専用書棚から抜き出し、読み始めた。
『いつか王子駅で』にも要約があるが、この短篇は、ある年の正月川崎大師の初大師(21日)に子分の庄太とともに詣でた半七親分が、帰り道に茶屋で出会った婀娜っぽい中年増の女が茶屋で飼われていた雄鶏に突然襲われ怪我した光景を目撃し、不審を抱きはじめ、女が鶏に襲われた謎解きをするうち別の事件の真相にも突き当たるという内容だ。
初大師や雪解けの泥濘道など、江戸情緒ただよう物語を堪能していると、そのまま『半七捕物帳』の世界にひたりたいという気分になってきたのだけれど、そこは我慢。自分もまた「ともかくも鮫洲へ行ってみよう」と、『いつか王子駅で』の「私」や半七親分と同じ台詞を心の中でつぶやいたのである。
長男を誘い二人で出発する。今回もバスで京成電車青砥駅に出、先日の成田行きとは逆に、都営浅草線経由で京急に乗り入れをする快速に乗り込んだ。品川で各駅停車に乗り換え四つ目の駅が鮫洲である。
駅前に目立った建物がなく寂しい駅から少し歩くと旧東海道に入る。いずれは旧東海道を歩いてみたいと望んでいたけれど、こんなかたちで実現するとは思わなかった。旧街道筋だが宿場の繁華街からは離れた場末という雰囲気の、ぽつりぽつりと商店が並ぶ商店街を歩いて左に折れると、川本さんのルートと同じく勝島運河に出る。

 ちょっとした土手があって、そこに上がると運河が目の前にある。大きなプールのような感じで対岸は倉庫が並んでいるが、こちら側は下町風の住宅街。
 堤には、花の種があちこちまかれていて「早く咲きますように」と立て札が立てられている。春に来たら花の堤になっていることだろう。(文庫版『東京の空の下、今日も町歩き』225-26頁)
川本さんがここを訪れたのは1月のこと。花はまだ咲いていなかった。今日行ってみると秋の花が色とりどりに咲き誇っていて目を楽しませる。その向こうには「プールのような」運河と、対岸の倉庫、遠くにはマンション建築のためのクレーン。まさしく文庫版のカバーイラストの風景があって大感激だった。運河の水は予想以上に澄んでいる。
勝島運河
目を左に移すと、「私」がぶらぶら歩きした鮫洲橋が見える。鮫洲橋や勝島運河、こんなところが「文学散歩」の対象になるなんて、やっぱり東京は面白い。鮫洲橋
さて、わたしたちも川本さんと同じく、しばらく運河沿いの堤の上を歩いて、旧東海道に戻る。もう少し歩けば鈴ヶ森の刑場跡がある。その前に渡るのが「涙橋」。これから刑場に向かう罪人の家族がこの橋の袂で最後の別れをしたことに由来する名前だという。
そして鈴ヶ森。白井権八と幡随院長兵衛の出会いで有名な「鈴ヶ森」では、髭題目で「南無妙法蓮華経」と彫られた大きな供養塔と、江戸の周縁である刑場に雲助たちが跳梁跋扈する不穏な雰囲気が印象的だが、元禄年間に建てられたという髭題目の供養塔が意外に小さいので拍子抜けした。鈴ヶ森の供養塔
丸橋忠弥が磔にされたという磔柱を立てるための礎石(真ん中が四角にくりぬかれている)や、八百屋お七が火炙り刑に処せられたときに柱を立てた炙り台の礎石(こちらは円形の穴)が残っており、生々しい。帰宅後戸板康二さんの『芝居名所一幕見―舞台の上の東京』を確認してみたが、そこに写っている50年前の供養塔は確認してこなかった。てっきり写真にある供養塔がそれだと思い、ほかは丹念に観察しなかったのである。
地図を見たら、たまたま近くにしながわ水族館があることがわかったので*5、散歩に付き合ってくれた長男のため、そこまで足を伸ばした。大きな水槽の中を悠々と泳ぐエイやサメ、亀、イルカやアシカの姿や、受け口がかわいらしくこれで本当に人間にも食いつく凶暴性があるのだろうかというほど動かないピラニアをボーっと眺めているだけで、現実社会の騒々しさをしばし忘れられたのだった。

*1:ISBN:4480422609

*2:ISBN:4398631011

*3:ISBN:4101294712

*4:ISBN:4334703984

*5:実は川本さんの本には、鈴ヶ森の先に水族館があることはちゃんと書かれてある。またしてもいい加減に読んでいたのだ。