最近読んだ本

最後の版元

読んだことの痕跡を残しておかないと、あとで自分が困ってしまう。この間4冊の本を読んだ。
まず、筒井康隆さんの『偽文士日碌』*1角川書店)。学生の頃、『日日不穏』などの日記を爆笑しながら読んだ身にとって、そういう記憶を思い起こさせてくれる本だ。その頃は断筆宣言や『朝のガスパール』での試みなど、出す作品ごとに何か新しい実験をおこない、それらがすべて面白いものばかりだった。
それから20年。「偽文士」を標榜し、文士のパロディを演じる日常。食生活などセレブな雰囲気で、自分の住む世界とこうも違うものかとため息をつくしかないのだが、「文士のパロディ」としてそうした世界に身を浸していると思えばいいか。『多聞院日記』の現代語訳をしようという記事があり驚く。そのこころみはどうなったのだろう。
この本を読んで知った中高生向け筒井康隆短編集『秒読み』(福音館書店)を長男のために買ってあげたら、病院の待合室で診察を待っているときそれを読み、ひとり笑いを漏らしていたらしい。「関節話法」がいいという。してやったり。『虚航船団』『虚人たち』はまだ無理にしても、『残像に口紅を』や『ロートレック荘事件』のようなワクワクする仕掛けの作品をつぎに薦めてもいいかもしれない。
自分自身も、筒井作品のように練られた小説を読みたいという気分になり、井上ひさしさんの『不忠臣蔵*2集英社文庫)を読み始めた。討入りに参加しなかった浅野旧臣たちの姿を、なぜ彼らは参加しなかったのかといった関心事を中心に、いろいろな手法で描き出す。独白体や対話体、ミステリ風など一篇一篇の趣向も凝らされ、それらの輪郭が結局討入りという大事件を浮かび上がらせる。井上さんらしい作品だ。でも後半ちょっとダレてきた。
もう一つ文庫の長篇。松本清張『考える葉』*3光文社文庫)。物語の鍵を握るのは、日本軍が占領地域から奪ってきた隠匿物資。当時の軍関係者が戦後いかに生きたか。戦争という現象は、社会派ミステリ、いや松本清張作品にとっての源泉である。戦争というブラックボックスからすべての謎、陰謀が生まれる。わかっていながら、でも面白いのである。
川瀬巴水の版画を出した渡邊木版美術画舗の創業者渡邊庄三郎の評伝、高木凜『最後の版元 浮世絵再興を夢みた男・渡邊庄三郎』*4講談社)を読み、渡邊の新版画、そして日本の木版画に注いだ情熱の熱さを思い知る。スティーブ・ジョブズも巴水ファンで、渡邊の店から版画を大量に買い込んでいたという。
戦時中、版木の材料となる木材や、版画を刷る奉書紙の不足によって、版画制作ができなくなったという。奉書紙は、軍刀を磨くために必要だったのだという。この本で初めて明らかにされた庄三郎の日記では、息子を「規さん」とさん付けで呼ぶ。仕事に対する厳しさと、家族も含む他者に対する気遣い、一人の人間にはさまざまな顔が同居している。あるいはこれらも底ではつながっているのかもしれない。
外国人のディーラーやジョブズのようにいかないが、臨時収入にめぐまれたときなど、巴水作品を一枚ずつ、渡邊木版画舗から購入したいものである。
さてほかに今読んでいる本が2冊ばかり。今年の夏は、家族の事情や仕事の都合などで夏休みの気分になっていない。たぶんこのまま秋がくる。何とか面白い本でも読んでこの暑さをしのいでいきたいものだ。

第11 浅野川の濁流から王道へ

先日出張ではじめて金沢の町を訪れた。これまで不思議と訪れたことがなかった。一度特急で通り過ぎたことがあるだけである。仕事柄「加賀百万石」の町にいつかは訪れることになるだろうと思ってはいたが、ようやくそれが叶った。
前泊だったため、金沢の町を歩くのはその日しかないと、午後早めに町に入る。あいにくその日は加賀に豪雨が襲った日であった。でもその日を逃すと自由に町を回る時間は得られない。ホテルに荷物を預け、強い雨にはほとんど役に立たない小さな折りたたみ傘を手に、町へ出た。
金沢の町を訪れるにあたり、いくつか予習をしようと思った。鏡花・犀星・秋声、そして吉田健一の『金沢』。どれを金沢に携えていこうか、書棚から本を引っぱり出しては元に戻すことを繰りかえした挙句、結局先月岩波文庫から出たばかりの『鏡花随筆集』*1一冊のみを旅行鞄に詰めこんだ。
出張の常で、あまり本は読めない。最近新幹線や特急に乗っているときは、音楽を聴きながらぼんやり車窓に流れる風景を眺めたり、居眠りをしたりすることがほとんど。いま抱えている仕事に関する資料もいくつか携えていったけれど、ほとんど何もできない。『鏡花随筆集』では、「加賀ッぽは何だか好かない」という痛烈な一節がある「自然と民謡に」や、加賀の一年の風物詩をさらりと描いた「寸情風土記」を楽しんだ程度だった。
金沢に着いて目指したのは、長きにわたる憧れであった泉鏡花記念館と、そこから浅野川を渡った近くにある徳田秋声記念館の二ヶ所。雨は強いけれども、さいわいホテルから遠くはない。まず鏡花記念館に飛びこみんだ。こぢんまりしていたことに意外な感を抱く反面、いかにも鏡花らしい雰囲気に満たされていることに喜び、またようやくここを訪れることができたという感動で胸がいっぱいになりながら、館内をひとめぐりする。
そうしたら、ロビーに設置されていたテレビには、種村季弘さんが鏡花を語ったビデオが流されていて、その素敵なめぐり合わせに重ねて感激した。来る前には、ちくま文庫泉鏡花集成』をめくりながら、巻末の種村さんによる解説を拾い読みしていたのだから。
鏡花記念館を出ると、雨がいっそう激しくなっている。浅野川の岸に出ると、いまにも堤防を越えるのではないかというほどの濁流で、橋を押し流さんとする勢いで水が橋桁にぶつかっている。怖かったけれど、勇気を出して浅野川大橋から秋声記念館目の前の梅の橋まで歩き、浅野川大橋よりずっとかぼそい梅の橋を渡って秋声記念館にたどり着いた。
秋声についても、来る前に『爛』や『黴』をめくったりしていた。一階には、本郷森川町にいまも現存する秋声旧邸の居間が再現され、二階では秋声の文学者としての足跡がわかりやすくたどられている。特別展示は秋声の児童文学。自然主義文学の巨匠、こういう作品も書いていたのかという意外性がある。
秋声文学館では、秋声作品のオリジナル文庫を刊行している。今回は、短編小説傑作集2『車掌夫婦の死・戦時風景』を購う。ホテルに戻ってから、冒頭の一篇「北国産」を読む。社会の底辺で来日中国人相手の娼婦をしながら、東京でお金を貯めて、郷里の越後に帰ろうとする主人公。しかしそれも挫折する。寒風が身体のなかを吹き抜けていくような酷烈さに、出張中に読む作品ではないなと、この一篇きりで読むのをよした。
秋声記念館で知ったのは、短篇「町の踊り場」の舞台が、鏡花記念館のすぐそばであるということ。帰ってから、さっそく「町の踊り場」を読み返したことは言うまでもない。先日丸谷才一編『花柳小説傑作選』*2講談社文芸文庫)にて再読した記憶かまだ新しいが、金沢の町の位置関係を把握したうえで、「町の踊り場」があったあたりの景色を頭に浮かべながら読むと、いままで二度の読書で感じなかった興趣をおぼえるのだから不思議である。
そこで次に、わたしに「町の踊り場」なる小説を教えてくれた堀江敏幸さんのエッセイを探す。しばらく散文集をひっくり返して、ようやく見つけた。最初の散文集『回送電車』*3(中公文庫)に収められた「梗概について(正)」。そこでは、小沼丹による「町の踊り場」の梗概のまとめ方に光があてられている。
当然そのあと、堀江さんが紹介した小沼丹の一文を全集に探す。未知谷の全集第四巻に収められた随筆集『珈琲挽き』中の一篇、その名も「「町の踊り場」」。
以前もおなじようなたどりかたをしたように思う。秋声の短篇から堀江さん・小沼さんという小道。でも金沢を訪れ、秋声記念館をひととおり見たあとにあらためておなじ小道を歩むと、それぞれの文章がより鮮明に頭に残るような気がするから不思議だ。たとえば小沼さんが「町の踊り場」の「梗概」をまとめ、この短篇に関する思い出をひととおり語ったあと、最後に秋声作品の印象を次のように締めくくる。

昔読んで感心した作品と云ふのは幾つもある。しかし、暫く経つて読み返してみると案外面白くない。こんな筈ではなかつたと云ふ場合も尠くない。秋聲の作品は、どうもその逆ではないかと思はれる。最初読んで、格別の感銘は無い。しかし、時が経つて二度三度と読むと次第に味が出て来る。殊に晩年の短篇にはそんな所があるやうに思ふが、これは読む方の年のせゐなのかしらん?
わたしが「町の踊り場」に感じたのもまさしくそのとおりだから、ますますこの堀江―小沼という道筋が、秋声作品を楽しむための小道どころか王道のような気がしてくるのである。

イザイザイザイザ

白川由美

「出世コースに進路をとれ」(1961年、東宝
監督筧正典/脚本長瀬喜伴小林桂樹宝田明高島忠夫白川由美/中島そのみ/水野久美藤間紫有島一郎柳家金語楼藤木悠

小林桂樹さん主演のサラリーマン映画で未見だった作品。紹介文に「主役トリオを「三人吉三」風に組ませた」とあるので、和尚=小林、お坊=宝田、お嬢=高島だろうと予想していたら、まさしくそうだったので嬉しい。
しかも冒頭、この三人が学生時代の素人芝居で演じたという設定の大川端の場が登場するところが本格的。三人ともなかなか堂に入っている。三人がビールで乾杯するとき「いざ、いざいざいざいざ」と言いながらグラスを合わせるあたりも芝居がかって面白い。小林さんは役柄としてもサラリーマンでありながらお坊さんであり、アパートの自室になぜか達磨像を掛けて読経している。「サラリーマン忠臣蔵」といい、歌舞伎の趣向を映画にあてはめるという遊び心が大好きだ。
小林桂樹が一人先輩で、電化製品メーカー勤務。宝田明が自動車販売会社、高島忠夫がテレビ局員という設定。三人が学生時代から通っていた食堂の姪御である白川由美さんが大阪からとある用事で上京してくるところで話が大きく展開する。
60年代の映画としては、宝田明の車が、都電の走る東京の町並みを疾走する場面であるとか、隣に古風なレンガ造建物のあるテレビ局、白川由美の借りるモダンなアパートなど、いろいろ見どころはある。高島忠夫さんの姿をじっと見ていると、次男の高嶋政伸さんが父親そっくりになっていることに驚いてしまう。
白川由美はヒロイン役なのだけれど、話の筋としては多少ひねった役柄であり、それ以上に活躍するのが、宝田明の義姉で、柳家金語楼高島忠夫の勤めるテレビ局の社長)が熱を上げるバーのマダム藤間紫さんである。
身のこなしや話し方、流し目の使い方など軽妙で色っぽく、この女優さんが段々好みになりつつある。年のせいかしらん?

サザンのテレビ初出演を観たのだろうか

栄光の男

サザンオールスターズが結成35周年を迎え、活動を再開したのは、サザンファンとして嬉しい知らせだった。三井住友銀行のコマーシャルに流れた「栄光の男」を聴いたとき、胸がじいんと熱くなった。
彼らがデビューした35年前、1978年、わたしは小学校五年生だった。デビュー直後、まだサザンオールスターズという名前を知らない田舎の子供だったわたしが観た彼らの印象について、10年前、わたしはこう書いた(→2003/5/3条)。

サザンのデビュー曲「勝手にシンドバッド」は土曜夕方だったか、テレビのバラエティ番組(どんな番組だったかは忘れた)のおしまいのほうにあった新人グループが曲を披露するようなコーナーで初めて見たように記憶している。桑田佳祐がスタジオ狭しと動き回りながら唄い、歌詞がよく聴き取れなかったことが衝撃だった。
自分の記憶では、夕食ができあがるのを待っていたとき、茶の間で観ていたテレビ番組のなかで、彼らがスタジオのなかで歌い、動き回っていた。
調べてみると、「勝手にシンドバッド」が発売された、つまり彼らのデビュー日は1978年6月25日。そしてテレビ初出演は、その二日後の6月27日火曜日、番組は「ぎんざNOW!」だという。
ぎんざNOW!」といえばせんだみつおという名前がむすびついて浮かんでくる。でもわたし自身が観たといった、しっかりした記憶があるわけでなはい。そもそも山形という片田舎で、「ぎんざNOW!」が流れているはずがない。
と思って調べてみると、ウィキペディアに衝撃的なことが書かれてあった。「ぎんざNOW!」はTBSの番組である。山形には当時TBS系列のテレビ局はなかった。でも、「基本的に関東ローカルであったが、一時期のみ、一部系列局や秋田テレビ山形テレビテレビ山口(いずれもフジテレビ系列)でも放送されていた」というのである!
当時の放送時間帯は17時15分から18時の45分間。すでにせんだみつおは降板しており、火曜の司会は松宮一彦アナウンサーだったらしい。もちろんそんなことはまったく記憶にない。時間帯とすれば、夕食を待っているという記憶とは一致する。でも自分は土日だとばかり思っていた。
あとは、実際1978年6月に山形テレビで放送されていたことが裏づけられれば、わたしはサザンオールスターズがテレビに初出演したときから35年間、このバンドを観続け、聴き続けてきたという経験を誇ることができるのだが。
わたしとおなじように?「ぎんざNOW!」のサザン初出演を観た方がここにもいらっしゃるらしい(→http://www1.linkclub.or.jp/~kury/ct/abunaiuta/boogie.html)。わたしよりも少し年上、高校生であったようだ。
この記憶が正しくても、そうでなくても、35年ともにあったことには変わりない。ユーミンもそうだが、子どもの頃にこういう歌い手の人たちと出会ったのは、幸せの一語に尽きる。「喜びを誰かと分かちあうのが人生さ」という「栄光の男」の一節を噛みしめて。

忘れぬうちに2冊の本

バイバイ、ブラックバード

読み終えたまま記録を残さないと、そのうちに内容を忘れ、読んだこと、買ったことすら忘れかねない年齢になってきた。あまり時間が経たないうちに簡単に感想だけ書こうと思う。
まず伊坂幸太郎さんの『バイバイ、ブラックバード*1双葉文庫)。この本は、小説を読む愉しさを実感させてくれるものだった。奇想というほかないのだが、現実離れしすぎるわけでもない。そのあたりのバランスが絶妙。
何か問題を起こして、「あのバス」に乗って遠いところに連れて行かれることになった主人公が、同時に付き合っていた五人の女性に別れを告げにゆくというのが筋。この筋立てがすでに突飛なのだが、何よりも奇想に満ちているのが、主人公がそれぞれの女性と付き合うことになったきっかけの挿話。よくそんなこと、そんな女性像を考えつくものだと感心してしまう。
女性像ということでいえば、主人公を「あのバス」に連れて行く使者となった大女の繭美。彼女の辞書にないことばは彼女の身についていないということで、たとえば「常識」「色気」「上品」などなど。本当に辞書を持っていて、言葉が線で消されているというのがブッキッシュでリアルだ。何か感情を示そうとしたりするとき、そのことばが辞書にあるかどうか確かめるあたりのギャグセンスも素晴らしい。
その大女のイメージは、マツコ・デラックス以外の何者でもないのだが、もし彼(女)が芸能界で売れっ子にならず、わたしたちの意識にのぼる人物でなかったとして、この本を読んだとしたら、はたして繭美という女性像を文章で読んだとき、誰をイメージすることになるのだろうというほど、マツコ・デラックスの姿と話し方を頭に浮かべながらこの小説を読んでしまっていた。
次に、高橋英夫さんの文人荷風抄』*2岩波書店)。『断腸亭日乗』を読み込んで、荷風にフランス語を習いに来ていた女性阿部雪子の姿を浮かび上がらせた「フランス語の弟子」の部は圧巻だ。その前の曝書をテーマにした連作もそうだが、『断腸亭日乗』にはまだまだたくさんの「読みどころ」が隠れているものだと嬉しくなる。
この「フランス語の弟子」では、中央公論社全集(東都書房版)版断腸亭日乗のテキストと岩波書店全集版テキストの異同についても興味深い考察がなされていた。拙著でも触れたことがあるが、わたしは自筆浄書本が基本にあって、戦後東都書房で刊行されたとき、原本に拠りつつ荷風が記憶をたよりに改変を加えたのだとばかり思っていた。
本書を読むと別の考え方もできそうだ。つまり東都書房版にもそれが拠った日記原本があって、その後荷風によって改変され、最終的な自筆浄書本となって今に伝わり、岩波全集版になったという流れ。いつか“『断腸亭日乗』の史料学”のような研究をやりたいものだと思う。

第102 梅雨時の鎌倉にて

松田正平展

昨夜ツイッターで、フォローしている魅惑の名画座さんのツイートにより、昨日から川喜多映画記念館にてこの企画展が始まったことを知った。
今日は先日の日曜出張の代休で休みである。美術館と映画館をはしごしようかなどと計画を立てていたが、急遽予定変更を決めた。しばらく鎌倉を訪れていないということもあった。
せっかく鎌倉に行くのだからと、ほかに観るべきところはないかと、まず調べたのが神奈川県立近代美術館だ。ちょうど関東圏初の回顧展を謳った「松田正平展」開催中であることを知った。ぼんやりとだが、洲之内徹『気まぐれ美術館』のなかでよく登場する名前として憶えていた。絵自体は素朴すぎていわゆる「ヘタウマ」のような印象を与えられ、強く惹かれるような魅力を有していない。でも、松田さんは洲之内さんが大好きな画家だったらしい。『気まぐれ美術館』を特集した『sumus』5号に収められている人名作品を引くと、けっこう名前が登場する。これでますます鎌倉行きへの思いがつのった。
幸い朝の暴風雨は午前中のうちに止んだ。鎌倉に着いた頃は雨もあがり、蒸し蒸しと暑くて、お世辞にもおでかけ日和とは言えない。でも不思議である。大船から北鎌倉へ入るあたりから気分が高揚しだし、鎌倉駅を降り立ったときにはウキウキしてくる。さすがに小町通りの混雑ぶりには閉口する。平日だからと安心していたが、修学旅行や遠足の子供たちで大混雑。これが土日だったらどうなるのだろう。恐ろしい。
川喜多映画記念館は、小町通り鶴岡八幡宮の突き当たり近くまで北上し、左に入ったところにある。小町通りから一歩横丁に入ると、別世界のように静かな空間が広がる。小町通りの喧噪が聞こえない。喧噪を飲み込むような大邸宅が並んでいる。記念館は川喜多長政・かしこ夫妻の旧宅跡に建てられたのだという。訪れる前は、こんな鎌倉の町中に大邸宅があるのかと訝しんでいたけれども、いざ行ってみると、そこは「町中」という感じを受けない。背後に山が迫っていることもあるが、逆に鄙びた感もある。
記念館の展示は、東宝映画のポスターやカレンダー、小林桂樹さん所持の台本などが展示されていた。観たことのある作品は、ポスターとそこに並ぶ俳優の名前を見ながら映像を思い浮かべる。未見の作品は、俳優の名前によってどんな取り合わせになるものか想像する。
東宝の看板シリーズだった社長シリーズ・駅前シリーズのポスターが多かったが、とくに未見作品が多い駅前シリーズは、ポスターとタイトルを眺めていただけで面白そうで、今後要チェックだなどと思ったりした。昭和36年に予定されている製作作品ラインナップのチラシがあり、たいていは知っているタイトルが多いなか、「第六の容疑者」などという三橋達也宝田明主演のミステリ映画っぽいタイトルを目にして、いずれ観たいなあなどと心にとめる。
それほど展示スペースは広くないのだけれど、ポスターなどをじっくり見ていたら意外に時間が経ってしまった。その足で鶴岡八幡宮の脇から近代美術館の松田正平展へおもむく。
展示を観はじめて驚いたのは、初期作品が、晩年の素朴な感じとはまったく違った正統的な油彩画だったこと。東京藝大に入り、藤島武二に師事し、パリへの留学体験もあるような画家だったとは知らなかった。戦後あたりから、わたしが知っている画風に変化してゆくらしい。
散策のお供に携えた『気まぐれ美術館 人魚を見た人』*1(新潮社)は、カバー装画と題字が松田さんである。洲之内さんの松田作品の偏愛ぶり、松田さんといかに親しかったかがこれでわかるというものだ。松田さんが好んで描いた犬をめぐる交流が「正平さんの犬」という一文となって収められている。第一印象は悪い言い方だが粗暴にしか見えなかった犬の横顔が、展覧会でじっくり見ていると何ともかわいらしく思えてしまうのだから不思議である。
『人魚を見た人』の表紙を飾る「笛吹き」も展示されていたのが嬉しい。第二展示室に陳列されていた終の棲家となった宇部周辺の瀬戸内海・周防灘を描いた風景画は、黄色の色合いがやわらかさをかもし出して実におだやかで気持ちがいい。
『人魚を見た人』の「耳の鳴る音」のところに多数収められている、これまた素朴な、でも見るほどに味わいが出てくる素描が展示されていなかったのは残念。でも図録に収められているスケッチ帖でその渇を癒すことができる。図録はカバーが二種類あって選べるようになっている。わたしは「四国犬」バージョンを選んだ。展覧会を見ていて「いいなあ」と感じていた作品が絵はがきになっていたのも嬉しい。ここにも「四国犬」が含まれる。さてこの絵はがきは、だれに、どんなときに使おうか。
充実した休暇を過ごすことができ、足どりも軽く鎌倉駅に引き返す。ごみごみした小町通りを避け、脇道に入る。そうした入ってすぐのところに古本屋の藝林荘があった。このお店はここにあったのか。でも今回購入したのは、もうひとつの木犀堂から、庄野潤三さんのエッセイ集『散歩道から』*2講談社)。
昼ご飯を我慢して、帰りは“シウマイでビール”をやりたかった。鎌倉駅は意外に駅弁販売に力を入れていない。おなじ神奈川県だから、駅の売店崎陽軒のシウマイが買えると思っていたが甘かった。慌てて崎陽軒のサイトでお店を調べたところ、駅前の東急ストアに出店していることを知る。そこでシウマイを購い、ビールも買い込んで、湘南新宿ラインのグリーン席を奮発し、至福のひととき。蒸し暑くて、汗かきのわたしにはふだんならたえられない気候なのだが、鎌倉はいくぶんか風が吹いている。環境もいい。歩いたあとのビールも最高。梅雨時ながらいい散策となった。
秋に川喜多映画記念館で「東宝映画のスターたち part2」(女優編)をやるそうだから、次の鎌倉訪問はこのときか。もう少し懐を豊かにして訪れたいものである。

金曜日の夜は映画を

「結婚のすべて」(1958年、東宝
監督岡本喜八/脚本白坂依志夫雪村いづみ新珠三千代上原謙三橋達也/団令子/山田真二仲代達矢/小川虎之助/堺左千夫/加藤春哉/塩沢登代路/藤木悠田崎潤田中春男ミッキー・カーチス佐藤允三船敏郎中丸忠雄/世良明/沢村いき雄