速水御舟に惹かれる心

速水御舟展

年のせいか最近油絵の具を使ったいわゆる洋画から、絹本・紙本に顔料で描いた日本画に惹かれることが多くなった。東京国立近代美術館など大きな美術館の常設展示などでも、日本画の空間にやすらぎをおぼえることが多くなった。
それら日本画を観ているうち、「これはいいなあ」と感じた作品の作者を確認すると速水御舟であることが何回か重なり、自分は速水御舟作品が好きなのだという自覚を持つようになった。ちょうど夏休みのこの時期、山種美術館にて速水御舟作品を中心とした展覧会をやることを知り、暑いさなかにおもむいた。
山種美術館は広尾にある。道のりでいけば、いつも地下鉄表参道駅から非常勤先の國學院大学に歩いてゆくルートの先に少し足を伸ばしたところにある。日本画中心の美術館である山種美術館を訪れるのは初めてだ。2009年に開催された速水御舟展の図録を購い、帰ってから見てみると、今の建物はその年に広尾に新築移転されたのだという。2009年段階で速水御舟への関心はすでに高かったと思うのだけれど、まだまだ自分の関心は「日本人洋画家」といったあたりに向いていたらしく、そもそも仕事のことでそれどころではなかったのかもしれない。
さてその山種美術館は、エントランスでチケットを購入すると、展示室は階段を下りた地下に広がっている。意外に人が多くて驚いた。
横山大観や下村観山など有名どころの作品も多かったが、やはりわたしの目は速水御舟作品に持っていかれてしまう。今回たくさんの御舟作品を観て思ったのは、御舟作品のなかでも、屏風絵のような大作でなく、色紙大程度の小品が一番好きだということ。御舟は小品にかぎる。
なぜ自分は御舟作品に惹かれるのだろう。そんな疑問を自分で納得したいこともあって、御舟作品に見入ったが、たぶん、描かれている素材(草花、小鳥などのほか静物画的題材)の選び方、緑や紫の色合いなどが大きいのではないかと思う。色合いでいえば、水墨画風に墨の濃淡で葉を描いたところに、葉にのるキリギリスと茄子を描いた「秋茄子」や、緑の茎がひょろひょろと不思議な曲線を描いて伸びるところに紫の花をつけた「豆花」などに見とれた。
ただし今回もっとも「欲しい」と思った一品は、「夜桜」であった。暗闇のなかにほんのりと浮かぶ桜を描いた作品。桜の花は、明るい陽の光で見たときの鮮やかさとは対照的に、闇夜にうっすら白く映えるといった程度の奥ゆかしさ。しかも描かれた絹というマティエールとの相性が素晴らしく、目を近づけて絹の地を見つめるとところどころキラキラ光っている。
これは何なのだろうと、帰ってから2009年の図録を繰ったら、背景に薄く金泥がひかれているのだという。なるほどそういう隠し効果があったのか。この図録に「夜桜」を見ると、闇夜でなく薄暮の桜といった印象だが、実際に展示空間で見るともっと夜は深い感じがする。
重要文化財だから代表的作品なのだろう「炎舞」も素晴らしい。目の前に立つと、暗がりのなかにこの作品だけにスポットライトが当たっているかのような印象をおぼえる。闇のなかにまっすぐ立ち上る火柱が描かれているからそういう錯覚を与えられるのだろうか。火柱のなかに舞う蛾たちの繊細な姿、これこそ速水御舟なのだ。
帰りは地下鉄広尾駅まで歩く。坂道を下る途中にペルー大使館があった。東京にはよく見られることだが、おなじ広尾といっても、坂の上と下ではまったく町の景観が異なる。川が流れたあとを暗渠にしたような、不自然にカーブしている道沿いに建つ古ぼけたアパートや、雑草の生い茂った路地などなど、坂の下には家が密集してまさに下町的風景が残っている。東京の町を歩くということは、こういうギャップを愉しむことである。