抱一を堪能する

酒井抱一という名前を知ったきっかけは漱石の小説だった。いま『漱石全集』の総索引(第28巻)にて調べてみると、『虞美人草』に最初に出てくる。

逆に立てたのは二枚折の銀屏である。一面に冴へ返る月の色の方六尺のなかに、会釈もなく緑青を使つて、柔婉なる茎を乱るる許に描た。不規則にぎざ/\を畳む鋸葉を描いた。緑青の尽きる茎の頭には、薄い瓣を掌程の大きさに描た。茎を弾けば、ひら/\と落つる許に軽く描た。吉野紙を縮まして幾重の襞を、絞りに畳み込んだ様に描いた。色は赤に描いた。紫に描いた。凡てが銀の中から生へる。銀の中に咲く。落つるも銀の中と思はせる程に描いた。――花は虞美人草である。落款は抱一である。
あいにく『虞美人草』は未読である。長々と引用したが、これは幕切れ近くにあって、おそらくこの長篇を象徴する場面なのだろう。その重要な小道具に、漱石は抱一の二曲屏風を持ちだした。
わたしが抱一を知ったのは、おそらく『門』のほうだ。
下に萩、桔梗、芒、葛、女郎花を隙間なく描いた上に、真丸な月を銀で出して、其横の空いた所へ、野路や空月の中なる女郎花、其一と題してある。宗助は膝を突いて銀の色の黒く焦げた辺から、葛の葉の風に裏を返してゐる色の乾いた様から、大福程な大きな丸い朱の輪廓の中に、抱一と行書で書いた落款をつくづくと見て、父の生きてゐる当時を憶ひ起さずにはゐられなかつた。
御米は、宗助の父の遺品であるこの抱一の二曲屏風を古道具に売り払おうとする。しかし古道具屋は「否々さうに」六円という値をつけた。意外に安くて決断しかねると、古道具屋はさらに一円奮発して七円にした。御米は抱一の絵なのだと主張したら、「抱一は近来流行ませんからな」とにべもない。たぶんこのくだりで、抱一という画家を知ったのである。『門』は学生の頃読んだきりだ。この機会に再読するのも悪くはない。
今回の千葉市美術館での抱一展、弟子其一らの作品も含め300点以上の作品が展示されるという、過去最大規模の展観だという。今年が抱一生誕250年なのである。
たとえば、「槇の木の木のもと、菊、女郎花、萩、藤袴、桔梗、刈萱といった秋草が、金地に美しく咲き乱れる」という絵柄の「槇に秋草図屏風」(細見美術館蔵)などが『門』の屏風に近いのだろうか。銀地ということであれば、今回の目玉のひとつである、「夏秋草図屏風」もある。黒ずんで輝きも鈍くなっている銀地に色合いも美しい秋草が描かれる。この屏風の前でしばし息をのんだ。
さすがに譜代大名の雄酒井家の次男坊として生まれた抱一だけあって、いい紙やいい絹のうえに、いい顔料を用いて描かれているせいか、200年ほど前に描かれたものとは思えないような鮮やかさであり、また蒔絵の盆なども素晴らしい。しかも表具もまた芸術品である。あれは表具と一体になってこその「作品」なのだろうな。図録には作品本体の写真しかないのは残念である。
もとよりそれはどの図録でもそうなのであって、今回の展覧会の図録*1は角背500頁にわたるずっしりと重い大冊で、眺めてもよし、読んでもよし、この一冊に抱一およびその流派のことが詰めこまれている。抱一研究の大きな果実という言い方もできそうだ。
12月から来年1月にかけ、岡崎市美術博物館にて、空前の規模の村山槐多展が催されるという。まったく知らなかったが、槐多の本籍地は岡崎なのだそうだ。ついこのあいだ松濤美術館にて槐多展があったばかりだと思っていたが、もうそれから2年になるのか。ちょっとそそられる。
また来年4月から5月にかけては、千葉市美術館で曾我蕭白展が開催されるという。これも楽しみに待ちたい。