東京の坂道には風情がある

坂道・ぶんきょう展

  • 坂道・ぶんきょう展@文京ふるさと歴史館

通勤にはいつも東京メトロ千代田線を使っている。職場は本郷台地上にあり、地下鉄は本郷台地と上野台地に挟まれた谷間の下を走っているから、坂道を登らなければ職場にたどりつけない。
その日の気分や体調、仕事の都合などにより、降りる駅を千駄木・根津・湯島のいずれかにする。千駄木からだと根津神社の境内をとおり、S字坂を登って地震研究所・農学部の構内を横断する。根津からだと弥生坂を登る。湯島では、男坂を登って湯島天神境内を通るか、切通坂を登るか、無縁坂を登るかという三つの選択肢がある。最近はもっぱら無縁坂を登っている。花見どきは西日暮里で乗り換え、日暮里から谷中墓地を通ることもある。このときはたいてい異人坂を登る。
18年住んでいた山形は盆地であった。でも家などは盆地のへり、山に近いところにあった。また12年住んだ仙台は平野だが、山あいに近いところをおもな活動範囲としていた。もちろんそれぞれの町にも坂道はある。仙台では、大学へと向かう上り坂、住んでいたマンションへと向かう上り坂、行動のあらゆる場面に坂道はあった。
けれども山形や仙台に欠けているのは、坂道の名前と、それにまつわる歴史である。もっとも仙台の坂道にも名前がついている坂はあった。いま思い出せば、鹿落坂という坂道があった。そこにもいわく因縁があるのだろう。ただそういう坂は滅多にない。そもそも鹿落坂は、歩いて登るような坂道ではなかった。
東京に移り住んで日常的に坂道とつきあうようになって、本郷界隈の坂道、そこに付けられた名前、その背景にある歴史を知る楽しみが増えた。それだけでない。そうした坂道をのぼりおりする愉しみも。
現在文京ふるさと歴史館で開催されている「坂道・ぶんきょう展」は坂道好きには必見の展覧会である。江戸の地誌・切絵図、錦絵、明治の版画、文学作品、そして明治・大正・昭和それぞれの時代に撮影された写真、どれにも風情がある。現在の写真とたかだか数十年前の写真を見比べるのがこれほど愉しいとは。
湯島天神の女坂を下る方向(北)には、不忍池が眺望できた。錦絵に描かれている。もはや現在は不可能になっている。でも、「むかしは見えていたんだなあ」と想像するだけで、不思議とワクワクする。
昼休みに展覧会を観て、職場に戻る。歴史館から炭団坂を降り、菊坂を少し登って、本妙寺坂の対面にある坂(これも本妙寺坂なのだろうか)をさらに登る。炭団坂を降りきると、菊坂に出るまでは家の軒先をかすめる狭い路地になっている。前を歩いていた学生のカップルがふと立ち止まり、キスをした。見て見ぬふりをしながら、彼らの背後にいることを避け、回り道をして「晩菊」ゆかりの上り階段から菊坂へと出た。こういう場面に出くわすのも、東京の坂道がもつ雰囲気ゆえなのだろうか。