葉山にてふたたび松本竣介

松本竣介展(葉山)

美術館に行くということで、妻を日曜の葉山ドライブに誘い出した。わが家族のなかでもっとも絵心のある次男もついてきた。長男は自宅で留守番するという。神奈川県立近代美術館の葉山館を訪れるのは二度目だが、前回は長男と二人、電車で行ったものだった。佐伯祐三佐野繁次郎展だった(→2007/4/30条)。ほぼ五年ぶりだ。
美術館に着いたとき、入り口にあった「松本竣介展」の看板を見て、ゴールデンウィーク岩手県立美術館で一度観ている妻は欺されたかのようにぶうぶう文句を言っていたけれど、なに、観る場所が違えば、絵も違ったふうに見えるに違いない、と妙な理屈をこねて文句を封じた。
以前訪れたときの印象では、(表現は悪いが)体育館のようなとても広々としたギャラリーという印象があったので、岩手で観た松本竣介のおびただしい作品群があのなかでどのように展示されるのだろうという興味があった。
三つある大きな展示室の四面はもちろん、あいだに間仕切りの壁が設けられ、そこにも絵が掛けられている。岩手のほうがもう少し広いだろうか、あるいは初めて訪れたため迷路のような印象があるのだろうか、まだまだ先にちらりと見える松本竣介の絵の大群に興奮したものだった。こちらは迷路的でないこと、またすでに一度観たことがあるからでもあろう、「先に何がある」というような関心は芽生えない。
岩手では「Y市の橋」がずらりと並んでいて壮観だったという興奮をいまだに覚えているが、こちらではあまり目立った位置が与えられていない。その他の風景画に埋没している印象。これは決して悪い意味で言っているのではない。埋没させることによってわかることもある。松本竣介後期の「無音の風景」は、「Y市の橋」だけに代表させられるものではないのである。静謐な運河の風景もいいし、竣介が好んで描いたニコライ堂の風景も素敵だ。
岩手のチラシは、蒼のモンタージュ都市画「街にて」だったが、こちら葉山のチラシは、見た目の印象がまったく異なる赤のモンタージュ都市画「黒い花」が選ばれている。さて夏の宮城、冬の世田谷ではどうだろう。
先週たまたま購入した松本竣介 線と言葉』*1平凡社コロナ・ブックス)を読んでいたが、写真の撮し方が違うのか(でも原版は同じような気がする)、拡大の問題なのか、この本では図録と違って、画布表面のマティエールのこまごましたところがよく出ていて、今回葉山で実作品を観るときの参考になった。
海岸のほうに降りてゆくと、早くも砂浜ではひとつふたつ海の家ができあがっており、海水浴を楽しんでいる人たちも多くいた。美術館に来る途中にも大豪邸が目についたが、ここに別荘を構える、なんていう冗談めいた夢が車内の話題となって、とてもいまの境遇では無理無理というところに落ち着いた。