対照的な日本画

吉川霊華展

最近毎週金曜日の仕事帰りは美術館通いが習慣になってきた。
現在東京国立近代美術館で開催されている所蔵作品展(常設展)の会期後半に、鏑木清方の「明治風俗十二ヶ月」全12幅が一挙展示されることを知った。これまでの所蔵作品展では、その季節季節に合わせた幅のみが展示されているのを観たことはあるが、すべて同時に観ることができる機会はなかなか得難い。
先週ブリヂストン美術館に立ち寄る前、八重洲地下街にある八重洲古書館の店頭本のなかに、清方の随筆集を見つけた。手にとってめくると「明治風俗十二ヶ月」というそのものの題の随筆が収められていた。それが絵画作品である「明治風俗十二ヶ月」を語る内容であったのかどうか、きちんと確認することはしなかった。内容はどうであれ、いずれ「明治風俗十二ヶ月」を観にいくつもりでいたから、この店頭本を買えばよかったと悔やんでいる。函が失われていたため店頭本ワゴンにあったらしいが、たしか値段はそれでも1000円を上回っていたから諦めたのである。また、家にあるはずの清方の随筆集に収められているのではないか、そういう期待もあった。
帰宅後さっそく、岩波文庫の清方随筆集2冊、『鏑木清方随筆集』*1・『随筆集明治の東京』*2の目次をたしかめてみたところ、当てが外れてしまった。とはいえせっかくの機縁だから、「明治風俗十二ヶ月」を観にいく気分を高めるために読むことにした。目次を見て面白そうなタイトルが並んでいる『随筆集明治の東京』を選び、電車本とする。
そのなかに「畏友吉川霊華君」という語句を見つけた。吉川霊華という名前に見覚えがある。ちょうど当の東京国立近代美術館でその展覧会が開かれているのである。清方の随筆を読むまではまったく眼中になかった。日本画家であることすら知らなかった。ところが清方から畏友と呼ばれる人物であることを知り、俄然、所蔵作品展と一緒に観てみようという気持ちになったのである。
美術館のチラシにも、最初に吉川霊華とってもほとんどの人はご存知ないかもしれません」というほどのマイナーな日本画家。清方や平福百穂らとともに金鈴社という絵画結社をつくり、画壇からは距離を置いて活動したという孤高の画家。1929年に54歳で亡くなっている。
展覧会に足を踏みいれると、いきなり待ち構えているのが、京都方廣寺が所蔵する「神龍」という巨大な絵だ。もともと天井画として制作され、いま軸装されているのだという。あまりに巨大すぎて上から掛けると床についてしまうためか、寝かせて斜めに起こされた状態で展示されている。
仏画・道画や説話に材をとった歴史画中心で、色合いも派手派手しさがなく、きわめて地味な画風だ。しかしそのような題材の堅苦しさが観る者を寄せつけないかといえばそうでなく、不思議にやわらかな印象を与える。有職故実的な絵の模写に励んだことがわかる模写群など、絹本彩色の本格的作品以外にも面白い作品が並べられている。
さて吉川霊華展をひととおり観たあと、所蔵作品展へと足を向ける。長谷川利行の「カフェ・パウリスタ」や、里見紝旧蔵作品であることを知った関根正二の「三星」などと再会したあと、三階左手奥の日本画のコーナーへ。その突き当たりに「明治風俗十二ヶ月」が一堂に並んでいる。これは壮観である。たまたまここの空間にはわたしのほかにほとんど人がおらず、静かな空気に包まれ独占して観るという贅沢な時間を過ごした。4幅ずつ表装が異なるあたりも面白く、素晴らしい。十月の「長夜」。母は針仕事、子は小机にて宿題のような書き物をしている。柱時計の時間を見ると、八時六分ほど。テレビなどもちろんない明治の秋の夜長、夜は深く、人にはたくさんの時間があった。
色合いも鮮やかな(たとえば「四月」に描かれる女性の着物の赤)「明治風俗十二ヶ月」を観ながら、直前まで観ていた吉川霊華の描くところの端正な線描を思いだし、盟友ふたりの作品をおなじ美術館の空間で一緒に観ることのできるしあわせを喜んだ。