ブリヂストン美術館ふたたび

あなたに見せたい絵があります。

このところ毎週のように金曜日は仕事帰りに美術館に立ち寄っている。やらねばならないことがあまりに多すぎて、せめて絵を観て頭をすっきりさせたいという気持ちなのだ。
今日はブリヂストン美術館の開館60周年記念展にふたたび足を向ける。4月に訪れて以来(→2012/4/20条)、二ヶ月が過ぎようとしている。時間が過ぎ去るのが早すぎる。いったい4月にわたしは何をしていたのだろう。ほとんど忘れかけている。
今週も月曜午前に某新聞社の記者さんの取材を受けることからはじまり、金曜午後に別の新聞社の記者さんの取材を受けることで終わった。こんな非日常の体験をしていると、自分に自惚れの心が芽生えてくる。それを素早く摘み取って、平穏な日常に戻るためにも、静かに絵を観ることは必要だ。
とはいえ、さすがにあと一週間という会期末を迎えているからか、4月に訪れたときよりも観客が断然多い。やはり皆さん仕事帰りに息抜きをしているのだろうか。
一度観ただけあって、今回はゆっくりと足を進め、ギャラリーひとつひとつの空間に身体を浸したとき、眼に止まった絵を選んで鑑賞するという余裕が生まれた。この展覧会で最初に観る絵が青木繁の自画像であることは、たいへんなインパクトを与えていると思う。あの顔にじろりと睨まれ、心をつかまれた時点で、もう展覧会の世界に入っている。
前回も触れた小出楢重の「帽子をかぶった自画像」。今回は、洋服やテーブルクロスの布地の襞に刻まれる陰影の描き方に惹かれる。眼を近づけるとはっきり明暗違う色が描かれているのだが、身体を離すと陰影がはっきり浮き出て魅力的な小出楢重の姿が眼に飛び込んでくる。不思議だ。
ついで心をつかまれたのが、関根正二「子供」だ。20歳2ヶ月で肺病のため世を去った画家。モデルは6歳の末弟だという。この作品は画家が死の直前に描いたうちのひとつ。自分を一心に見つめて、肖像を描いてくれた兄が、その直後遠いところに旅立ってしまうという劇的な経験をした6歳の少年は、いったいそのとき何を感じたのだろう。兄と弟という二人の関係と、その後の弟の生き方を想像しながら観ていたら、胸が詰まった。
帰りがけにミュージアムショップで、この「子供」の絵はがき一枚だけを購い、帰宅後書棚から酒井忠康さんの『早世の天才画家 日本近代洋画の十二人』*1中公新書)を取り出した。あとでゆっくり関根正二の伝を読もう。
マティスの「画室の裸婦」、アンリ・ルソーの二点「イヴリー河岸」「牧場」は文句なくいい。岡鹿之助の二点「雪の発電所」「セーヌ河畔」も、いうまでもない。新収蔵作品の「セーヌ河畔」の絶妙な色使いに、あらためて見とれる。皆さん新収蔵作品の経緯を書いたパネルの文章だけ熱心に読んで、肝心の絵をほとんど観ないで通り過ぎていく。とてももったいない。
マネの「オペラ座仮装舞踏会」を観て、先日東京国立近代美術館で味わった長谷川利行の「カフェ・パウリスタ」を思い出した。あの雑踏の空間を早い筆遣いでキャンバスに塗り重ねてゆく。利行は日本のゴッホと言われるが、マネと重ねたような言及はあるのだろうか。
ひととおり名品を味わって外に出てきたときには、すっかり雑念が洗い流されていた。ありがたいものである。