震災後の洲之内コレクション

洲之内コレクション

毎年この季節は、出身大学・研究室の同窓学会があって、なるべく仙台に行くようにしている。先生や先輩・同輩・後輩に会うことはもちろんだが、第二の故郷である仙台は、その町にいるだけでいい心持ちになるからだ。
同窓学会では、毎年記念講演と、総会、懇親会がある。たいてい日帰りなので夜の懇親会は失礼しているのだが、今年は総会も失礼した。記念講演は、最近ではおなじ時期に研究生活をすごした先輩方が講師となるめぐりあわせになっており、拝聴せねばならない。
講演が終わって向かったのは、大学キャンパスの隣にある宮城県立美術館だった。途中、大学一、二年生(当時は教養部だった)の頃を過ごしたキャンパスを横切ることになる。わたしが入学した四半世紀前は、学生運動の名残がまだあって、立て看や張り紙などが校舎のあちこちにあり、授業前にはそうした団体への勧誘演説をする人がいたりしたが、いまやそんな雰囲気は微塵も感じられない。オープンデッキの学食や、新しい建物が次々と建てられ、いたって小綺麗なキャンパスに変貌を遂げている。ただ、かつて小田和正さんが在籍していたという音楽サークルが入っていた古くさいサークル棟だけ、時代に取り残されたかのように建っている。
野球をしたグランドも小さくなったり、キャンパス向いの公務員住宅も老朽化のためか、震災のためか、廃墟のようになっている。坂を下りると市のテニスコートが整備され(もっともこれは以前からあったかもしれない)、美術館の手前にはコンビニまでできている。宮城県立美術館は、わたしがまだ仙台にいた頃は、ずいぶん明るくて清潔な建物だと思っていたが、いまではトイレなども古さを感じさせられる。震災で甚大な被害があったと仄聞している。
今回は時間もないので、常設展だけを観た。いや、宮城県立美術館は常設展こそ観る価値がある。何せあの「洲之内コレクション」を観ることができるのだから。
以前の常設展会場は、入り口すぐのところに洲之内コレクションが出迎えてくれたものだが、いまはかつての入り口と出口が逆になっており、洲之内コレクションは出口直前のブースにある。
靉光「鳥」、海老原喜之助「ポアソニエール」、鳥海青児「うずら」、長谷川利行「酒祭り・花島喜世子」「街景」、村山槐多「風景」、萬鉄五郎「自画像」、千家元麿「森」、長谷川潾二郎「猫」、前田寛司「病床一夜」、吉岡憲「おらんだ坂あたり」などなど、洲之内徹さんの文章でおなじみの絵、これまで様々な機会に目にしたことのある絵と、あらためて対面する。ひとつひとつをじっくり観たあと、洲之内コレクションの空間の真ん中に移動して、ぐるりと全体を見回す。ひとつの空間に並べられているこれらの絵を眺めることの至福。震災後ここまで復興してくれた関係者のご苦労にも感謝しながら、懐かしの県立美術館をあとにした。
仙台の町にいたのは、たかだか四、五時間という短いあいだだったが、旧知の人たちの顔を見て、旧知の町を歩いて、ときにはその変貌に愕然として、最後に絵を観る。これだけでじゅうぶんに充実した時を過ごすことができたのである。