マスクの大小

  • レンタルDVD
「東京暮色」(1957年、松竹)※三度目
監督小津安二郎/脚本小津安二郎野田高梧笠智衆原節子有馬稲子山田五十鈴中村伸郎杉村春子/信欣三/高橋貞二藤原釜足山村聰宮口精二浦辺粂子/三好栄子/長岡輝子桜むつ子菅原通済/市川和子/田中春男

山田五十鈴さんが亡くなった。訃報を聞いてから自分の映画鑑賞記録をたどり直し、印象に残っている山田さんの映画をあれこれ思い浮かべた。表ベストの3本は、小津安二郎「東京暮色」(→2006/6/25条2007/10/13条)・千葉泰樹「下町」(→2005/5/27条2006/5/4条)・中村登我が家は楽し」(→2004/2/14条2004/10/7条)、対する裏ベスト3本は市川崑「億万長者」(→2006/11/18条)・豊田四郎「猫と庄造と二人のをんな」(→2005/6/9条)・渋谷実「悪女の季節」(→2004/8/28条)となる。慈愛に満ちた母親(「我が家は楽し」)、薄幸な母親(「東京暮色」「下町」)という女優山田五十鈴像が強い印象に残るいっぽうで、エキセントリックな悪女も忘れがたいという両極端。
山田さんの訃報を知らせるテレビのニュース番組では、代表作として溝口健二監督の「祇園の姉妹」や黒澤明監督の「蜘蛛巣城」の映像が流された。いずれも未見の映画だが、やはりもう少し違う作品もあるのでないかといささか不満を持って見ていたら、報道ステーションのコメンテーターである三浦俊章さんが、小津安二郎監督「東京暮色」のラストに近い上野駅の場面を挙げておられたので、「そうそう」と深くうなずいた。
三浦さんのコメントもあって、追悼の意を込めてまた「東京暮色」を観てみたくなり、DVDを借りてきた。観るのは三度目である。前回観てから5年も経ってしまったのか。
山田五十鈴という女優が演じた母親を中心に「東京暮色」を観直してみると、彼女が笠智衆の部下といっしょに駆け落ちしてしまったのが不幸のはじまりであることはわかっているものの、長女の原節子も次女の有馬稲子も彼女に冷たく当たることに同情をおぼえ、娘たちが酷な捨て台詞を残して彼女の前から立ち去ったあとに残された彼女の寂しい背中に目頭が熱くなった。やはりこの映画における山田五十鈴という女優の存在感は素晴らしく、代表作のひとつに挙げられるべき作品だと思う。
あらためて観直して、相変わらずの脇役たちのうまさにしびれる。冒頭の田中春男(これまでまったく意識していなかった)から、杉村春子宮口精二中村伸郎藤原釜足浦辺粂子、三好栄子らの配置の手堅いこと。どう観ても失敗作ではないのである。なぜこの作品が小津作品のなかで不当に低い評価が与えられているのかわからない。
三度目の今回気になったのは「マスク」だった。深夜ひとりで喫茶店にいる有馬稲子に「職質」する刑事の宮口精二は、小ぶりなマスクをして有馬に話しかける。その直後の場面、警察署に連れてこられた有馬を引き取るために訪れた原節子は、顔の下半分を隠せるような大きなマスクをしている。警察署に入ることに後ろめたさを感じているのだろう。
インフルエンザの予防などで、いまでは不織布の大きなマスクがあたりまえになっているが、昔は綿のマスクを洗濯してもらって繰り返し使っていた。いや、いまでも子どもは小学校の給食で小さなマスクを使っているはずだ。
ときどき電車のなかで、宮口精二がしているような小さなマスクをしているおじさんを見かけるが、どうも滑稽というか、怪しいというか、そんな印象を持ってしまうのは、こうした時代のせいだろうか。もっともこの映画を観ると、小さなマスクという記号は多少の不気味さあらわす記号であったのかもしれない(少なくとも小津監督はそう考えて宮口精二にマスクをさせたのかもしれない)ことがわかり、わたしの感覚もまんざら突飛なものではないと思うのである。