第97 「橋」のロケ地へ

先週、番匠義彰監督の「橋」で、笠智衆岡田茉莉子父娘が借りたアパートの場所のロケ地を推理し、推測した場所を訪れたものの、探し当てることができなかった経緯を書いた。
情報を求めるべく呼びかけたが、「橋」などというマイナーな映画の、何か所かの場面に登場するにすぎない場所のロケ地が簡単にわかることはないだろうと、なかば諦めていたのである。ところがまもなく代官山(猿楽町2)であるというコメントをいただき、あっさり解決してしまったのにはわれながら驚いた。インターネットによる情報伝達力の大きさに脱帽だ。
すぐさま手もとの地図で確認したことはいうまでもない。二車線の道路から左に分かれ、平行にゆるやかに下る坂道がある。二車線の道路は鉄道をまたぐ陸橋であり、その先に緑色の電車がゆっくり横切っているというポイントで、猿楽町を探し、めでたく場所のめどをつけることができた。
陸橋の現在の名前は「猿楽橋」、跨ぐ鉄道はJR山手線と埼京線、道路の向こうに見える緑色の電車は渋谷駅から出たばかりの東急東横線である。通りの名前は「八幡通」と呼ばれている。代官山駅付近で旧山手通から分かれて北東に伸び、渋谷川をはさんでふたつの台地を上り下りしながら、明治通・六本木通を横断して青山学院大学の西側で青山通に交わる道である。通りの名前の由来になった八幡とは、渋谷川を越えた先にある金王八幡宮であるとおぼしい。
車輛を東急の「青ガエル」と推定したことは間違っていなかった。またこれは誇ることではないが、ロケ地が東京であることも当たっていた。大きな判断ミスは、二車線の道路を幹線道路と見たことだろう。50年前の二車線の幹線道路が、いまの片側二〜三車線の環七と同じということはありえないのである。
このご教示に関連して不思議なめぐりあわせがあった。
その日の早朝、本置き部屋の書棚を見やったところ、大岡昇平さんの自伝的長篇『少年』新潮文庫)が目に入ったので棚から抜き出し、ぱらぱらめくって棚に戻した。大岡さんは大正7年から11年まで、渋谷東急デパートの近くに住み、その後居は松濤に移り昭和5年まで住んだという。9歳から21歳まで、少年時代のもっとも大切な時期を渋谷で過ごしたわけである。
『少年』はかつて読んでいる。調べてみると7年前のことだ*1。読み終えて時間が経っていない本ですら、内容を忘れてしまうのだから、7年前に読んだ本など読んでいないも同然だ。ただ、「既読」という記憶の痕跡が残っている程度。
最近新刊書を買う量(冊数、額の両面で)が減った。いろいろ原因はあるだろう。まず、「読みたい」「買いたい」と思わせる新刊の激減。そう思わせる本を出しつづけている良心的な出版社の広告の減少。これは私自身の情報収集能力の低下、本に対するアンテナの感度鈍化も大きいゆえに違いない。
いっぽうで、寿命(余命)を意識する年齢になったこともある。かりに寿命を全うできたとしても、あと数十年の命。いままで生きてきた時間をふりかえれば、読むことができる本の数もたかがしれている。それが頭の隅にあるので、「残りの人生でこの本を読むことがあるのだろうか」という尺度で本を選ぶようになり、一度手に取った本をもとの場所に戻すことが多くなった。これまでは、本との出会いは一期一会、そのとき買っておかないと二度と出会えないかもしれない、「いま買っておけば、将来読む機会があるかもしれない」という考えで、次々と本を買い求めた。かくて部屋には本があふれかえった。若い頃はそれでよかった。
さまざまな理由で新刊購入量が減る。それと反比例して、かつて面白く読んだ記憶の残る本の再読・三読が増えた。細かな内容を忘れてはいるけれど、面白かったという印象は強い。これならばまずはずれがない。読む本に対する安心感がある。かつて読んだ頃の思い出が一緒によみがえってくるという愉しさも、再読の醍醐味だ。最近も、ちくま文庫から再刊された山口瞳江分利満氏の優雅な生活*2を再読し、はじめて読んだときには江分利満氏とほぼ同じ年齢だったことを思い出した。そういう本のたくわえならまったく問題ない。死ぬまで愉しみつくせるだろう。でも反面、こんな後ろ向きの読書生活をしていては、人間として進歩しないとも言える。
ともかく、最近のそんな傾向もあって、『少年』を棚から抜き出し、「読み返そうかな」、そんな気持ちになったのである。そしてその夜、「橋」で気になっていたロケ地が、渋谷近く(代官山)であることを教わったとき、浮かんできたのは朝手に取った『少年』のことであり、その奇遇に驚いたわけだ。『少年』を読み返しはじめたのは、いうまでもない。
さて、今日は妻と長男に外出予定があった。次男一人を留守番に残すわけにはいかないので、彼の鼻先にニンジンをぶら下げ、なだめすかしながら一路渋谷へと向かう。ちょうど行きたいと思っていた展覧会がたばこと塩の博物館であったので、それと抱き合わせにする。
もっとも、渋谷とは言っても、たばこと塩の博物館と猿楽町ではずいぶん離れている。博物館は後回しにして、ロケ地探索を優先させる。渋谷駅から明治通を南下し、八幡通を目ざす。八幡通に入ると、まず渋谷川に架かる並木橋*3を渡り、坂を上って山手線を跨ぐ陸橋猿楽橋に至る。ちょうど「橋」のアングルとは逆方向から、父娘のアパートに向かったことになる。
ちょうどこの猿楽橋が「橋」としてのたたずまいを見せはじめる交差点から、たしかに線路に向かってゆるやかに下る脇道が平行している。ここだここだ。「橋」に出てくる風景と同じアングルで写真を撮る。索漠たる雰囲気の映画にくらべ、まわりには高い建物が林立し、見通しはよくない。橋(猿楽橋)も、欄干やその基礎、橋と脇の下り坂を画する擁壁など、当時の姿をとどめるものはない。
ただ、橋の向こうを眺めると、何分かに一度、銀色に赤線の東急電車がゆっくり横切るのが、映画の「青ガエル」を思い出させる。またそもそも、幹線道路(八幡通)と脇道の関係などは基本的に変わらないから、ここに岡田茉莉子笠智衆大木実石浜朗といった役者さんたちがいたのだと幻視するとっかかりは残されている。

大きな満足感を得て、今度はたばこと塩の博物館に向かう。坂道を下って渋谷駅方向には戻らず、台地の上をぐるりと迂回する道を選んだ。住所とランドマークで言えば、猿楽町−鶯谷町−桜丘町を経て道玄坂上に出、渋谷界隈では唯一なじみのシネマヴェーラ前を通って東急デパートに至り、東急ハンズから公園通に出て博物館に到着するという道筋。
鶯谷町は名前のとおり低地で、桜丘町は高台になる。それぞれの町の境界線となっている道の雰囲気は、本郷菊坂に似ている。西に向かえば左手が鶯谷町にあたり、そちらに入る横丁は階段で下りてゆくかっこうになっているのである。階段沿いには、勾配を利用した、通りに面して二階建て、下(鶯谷町側)からは三階建てになっている家がある。意外にこのあたりは普通の住宅が密集しているという印象だ。
大岡昇平さんは、いま東急デパート(Bunkamura)になっている場所にかつてあった大向小学校に通っていた。『少年』掲載の地図と現在の地図を重ね合わせると、大岡家はセンター街の通り近くにあったことになる。センター街が宇田川の暗渠になっているわけか。
たばこと塩の博物館では、中央大学125周年記念特別展「浮世絵百華」を開催中。平木浮世絵美術館は中央大と縁が深く、その関係で平木コレクションを中心とした浮世絵の展覧会が開かれたのだという。招待券をいただいたので、ありがたく観覧させてもらった。
浮世絵そのものに対してそれほどの執着はない。ただ、いろいろなメディアで目にする歌麿の美人絵や写楽の役者絵(大首絵)、北斎の「富嶽三十六景」(「神奈川沖浪裏」「凱風快晴」)や広重の「江戸近郊八景之内」など、重要美術品や重要文化財に指定されている版画の現物を直接間近に見ることができたのは眼福だった。
渋谷駅を出発して、ぐるりとその南北をめぐってきた渋谷散歩。あまり文句を言わずにつき合ってくれ、アップダウンの激しい道のりを歩きとおした次男にも感謝しよう。

*1:さるさる版読前読後2002/11/21条

*2:ISBN:9784480426567

*3:そういえば、永六輔さんのむかしの俳名が「並木橋」ではなかったか。このあたりにお住まいだったのか。