第96 ロケ地探索失敗譚

先日観た映画「社長太平記」(→11/21条)で加東大介が扮していたのは、海軍の元艦長だった。軍隊内での階級とは正反対に、元部下の森繁久弥小林桂樹の下で、黙々と総務課長の仕事をこなす。
偶然ながら、これとは別に元艦長が出てくる映画を録画している。番匠義彰監督の「橋」である。岡田茉莉子さん主演ということもあるし*1、録画確認作業のとき隅田川勝鬨橋が出てきたことが気になったので、観てみることにした。
「橋」に登場する元艦長は笠智衆加東大介の元艦長にくらべればシリアスで(社長シリーズとくらべれば当然か)、戦争の責任を負いながら余生を過ごそうとしている。軍人恩給を辞退したうえ、日雇労働などで暮らしているのである。こんな高潔さに元部下の渡辺文雄らはなお笠を慕い、彼を支えようとする。
笠には気骨もある。同じく日雇労働をしていた戦争未亡人(幾野道子)にちょっかいを出そうとした男を殴りつけ、「ニコヨンになった元艦長が人を殴る」という新聞記事になってしまう。
これを見て苦い顔をするのが、長女の婿である大学教授細川俊夫終戦以来岳父を養ってきたのに、軍人恩給を勝手に辞退したばかりか、家を出て日雇労働をしていることが知られ、まるで自分が追い出したかのように世間に見られてしまうことを恐れ、体面を汚されたと憤慨する。笠はスノッブ臭がただよい、プライドが高いこの婿とそりが合わないのである。
そりが合わないのは、やはり同居していた次女岡田茉莉子も同じ。彼女は父と同居するため義兄の家を出て、郊外に間借りをする。仕事を見つけて自活しようとしていたときに出会ったのが旧知の大木実。何かのブローカーをしており、彼の事務所で事務員として雇われるが、二人は深い関係となり、岡田は大木に求婚され、これを受諾する。
ところが大木はバーのマダム水戸光子のヒモで、彼の資金がもともと水戸から出ていたことを知って幻滅した岡田は婚約を破棄し、父の元に戻ってくる。笠のお相手として本を読んであげたりする学生バイトに雇われた石浜朗は秘かに岡田を想っていたが、傷心の岡田はこのときようやく石浜の気持ちを知る。石浜が笠の家を出たときにマフラーの忘れ物をして、それを届けるため彼のあとを追った岡田がマフラーを渡すのが、住まい近くの陸橋。これが題名の「橋」の由来なのだろうか。ともかくこのラストは、余韻を残すというよりも中途半端で、消化不良の感が残った。
ストーリーはともかく、すこぶる気になったのが、笠・岡田が間借りする木造アパートの場所なのだ。引っ越しの時、岡田・石浜は、隅田川の近くにあった笠の住まいから家財道具を運ぶトラックの荷台に乗る。その道路は両側二車線で見通しがよく、当時の幹線道路とおぼしい。周囲の風景は索漠としている。
アパートはその幹線道路沿い。幹線道路と平行して、そこから左にゆるやかに下っていく脇道の下りはなにある。幹線道路のほうはそのまま陸橋になる。陸橋だとわかったのはラストシーンで、下には鉄道が走っていた。陸橋の先に目を凝らすと、緑色の、四両ほどの電車がゆっくりと走っている。高さは道路とほぼ同じ。ここはどこなのだろう? 映像を何度も繰り返して観るものの、ピンとくるものがない。
ポイントは緑色の電車だろう。ラストを観る前にまず想起したのは山手線。山手線と幹線道路が交わる場所として思い出すのは田端。でも田端の場合、道路は谷間にあるので、道路と同じ高さに線路があるはずがない。
次に、緑色の電車は郊外の私鉄で、幹線道路は環七かもしれないということ。東急世田谷線は環七を踏切で横切るではないか。たしか世田谷線は緑色だ。そこでその前後の地図を眺める。しかし世田谷線の前後に陸橋とおぼしき橋は確認できない。しかも世田谷線は四両もないだろう。
しばし途方にくれながら、探偵ごっこを一時保留して映画を最後まで観る。前述のように陸橋が鉄道を跨いでいるという大きな手がかりを得た。その幹線道路は、直交する鉄道をまず陸橋で跨ぐと、その前にほぼ同じ高さの緑色車両が走る鉄道と直交する、という按配になる。同じ高さというのは、遠目で見るとということであって、実際は高架の可能性もある。
あらためて環七沿いの地図を眺める。候補地として浮上したのは、環七の上を東急大井町線旗の台駅から北千束駅の間)が通り過ぎ、その前後で環七が東急目黒線東急池上線を陸橋で跨ぐ洗足(北千束)・旗の台・長原のあたり。ネットで調べてみると、東急大井町線の車両は、かつて「青ガエル」という愛称で親しまれた緑色の5000系という型らしい。四両編成というのも一致する。1954年から1959年まで105両が製造されたというから、年代的にも問題ない。映画に映った電車の速度は遅かったから、駅が近いに違いない。もうこれはここしかない、我ながら勘が冴えているとばかり、さっそく休みを利用して探索に向かった。
結論から言えば、推理した場所とは断定できなかった。違った可能性が高い。だとすればどこなのか。上記の情報のみで予想できた方はご教示ください。
所期の目的は達成できずにおわったが、このあたりを訪れるのは久しぶりなので、しばらく散歩を楽むことにした。洗足駅で降りるのは、戸板康二邸を訪れて以来のことだ。
ちょうど昼時なので、食事する店を探そうと環七を歩きながらまわりをうかがったら、環七から西に入る「長原商店街」の賑わいが目に飛び込んできた。ちょうどこの日、「しながわ・大田の商店街 お宝発見!つまみ食いウォークというイベントが開催中で、商店街の狭い道路が人であふれかえっていた。食べ物屋の店頭では「つまみ食い」をするためのワゴンが出て、その前には行列ができている。
その賑わいに誘われてふらふらと商店街に迷い込み、メインの通りから脇に入った横丁で、店頭にてザーサイを供しているラーメン屋を見つけたので飛び込んだ。餃子ライスランチ(ミニラーメン付)700円を食べる。鶏ガラベースのラーメンがあっさりしておいしい。餃子も具材がたっぷり入ってボリュームがある。帰りがけ店頭のザーサイも気になったが、今日のところは我慢する。
腹ごしらえをしたのでしばらく「つまみ食いウォーク」の人たちに混じって歩くことにする。長原商店街は、環七のために分断されたらしい。環七を横切った先にも商店街が続いている気配だったので、そのまま東へ歩くことにする。住所としてははじめて旗の台という町に足を踏み入れた。環七から東側の通りは別の名前になっているが、カラー舗装がなされ、商店街風の街路灯が設置されている。ただし長原のような賑わいに欠け、店も少ない。通り沿いの建物の多くが普通の住宅になってしまっている。かつてはこちらのほうも賑わっていたに違いない。先には銭湯もある。
左右を見ると下り坂になっているから、この通りは尾根道なのだろう。昔から開けていたのだ。しばらく歩いて左(北)に折れ、尾根を下りると荏原町の商店街にぶつかる。ここも「つまみ食いウォーク」の範囲であり、長原商店街以上にごった返している。ここまでくるとさすがにわたしも耐えられなくなる。そそくさと商店街を抜け、荏原町駅から帰途についた。
今日歩いた上池台・旗の台といった町は、住宅地としては高級住宅街に入るのだろうか。あるいはごく普通の住宅街なのだろうか。いずれにせよ、東京のどこにでもあるような住宅地の雰囲気が好ましい。火事があってもなかなか消防車が入ってこられないような狭い道に、家屋が密集している。しかも起伏が激しい。
東京に移り住んだとき、わたしは北東地域の町を住みかに選んだわけだが、もし何かの拍子でこのような東急沿線の町に住まいを定めたら、どうなっていたのだろう。東急沿線の町の雰囲気と、わたしが住む常磐線沿線の町の雰囲気、どう違うのだといっても、これぞというはっきりした違いを言うことはできない。でもやはり違う。東京は広い。何度も生まれ変わることができたとしたら、その都度東京のいろいろな町に住んで、微妙な違いを楽しんでみたいと思うのである。
さて、今回のロケ地推理にあたり、推論の前提に根本的な誤りを含んでいる可能性があることは承知している。まず、ロケ地が東京とは限らない。幹線道路が環七とは限らない。そもそも環七はこの時期この大田区方面でできているのかわからないし、片側一車線ということはありえないだろう。でも幹線道路の雰囲気は濃厚なのだ。最後に、笠・岡田父娘が間借りしたアパートのそばにある陸橋の下が鉄道とはかぎらない。ラストのロケ地が陸橋と同じ場所かどうかはわからないのだ。しかも大きな問題は、ロケ地当時の道路や陸橋などがそのまま残っているとは限らないこと。
そのうえであえて、東京、環七沿い、東急のある町と定め、これでピタリ当てればわたしの「似非東京人」としての勘もなかなかのものと満足したはずだが、そうは問屋がおろさなかった。修行が足りないということか。出直してこよう。

*1:ただし本作も『女優 岡田茉莉子』では言及されていない。