徳川夢声の小説と漫談この出張で

先日書友濱田研吾さんから、「こういう本を出しました」とお知らせいただいたのが、徳川夢声の小説と漫談この一冊で』(清流出版)だった。神保町に出た機会に東京堂をのぞくと新刊コーナーで見つけたので、さっそく購入する。
短篇16篇にくわえ、「徳川夢声SP盤音源集」としてCDも付いているのが嬉しい。そこには7本の漫談が収録されている。活動弁士や漫談で一世を風靡したという話はよく聞くものの、実際耳にする機会はなかなかないからだ。
ちょうど大阪出張があったので、この本一冊を持っていくことにした。一泊二日の短い出張、そのうえたいてい夜は一緒の同僚と飲むので、読書時間などとれないにもかかわらず、また行き帰りの新幹線はたいてい眠りに落ちてしまうことがわかっているのに、持参する本が一冊だと妙に不安になる。そこでつい一冊増やしてしまうものの、結局両方とも読まずに終わるという愚行を繰り返している。
その反省を生かし、今回は禁欲的に『徳川夢声の小説と漫談この一冊で』のみを鞄に入れる。いっぽうCDに入っている漫談はi-podに入れ、新幹線で聴こうという準備万端のかまえである。
徳川夢声といえば、『新青年』に発表されたナンセンスミステリを思い浮かべる。巻末の濱田さんの解題でも触れられている「オベタイ・ブルブル事件」「ポカピアン」が立風書房のアンソロジー新青年傑作選』や角川文庫の『新青年傑作選集』に収められたことで知っている口である。もっとも読んだかどうか記憶にない。たぶん読んだはず…。ひどいことに「ポカピアン」のほうはタイトルすら記憶にない。こんな程度だから、夢声の小説はほとんど初読といっていいだろう。
さて小説は、ナンセンスで、モダンで、軽妙で、読んでいて愉快な気分になる。特定の商品名が強調されて出てくる「河鹿殺人事件」や「即席実話」といったベタなタイアップ小説は、当世なかなかお目にかからないからかえって新鮮だ。
また「浦島太郎」「花咲爺」「桃太郎」「猿蟹合戦」「かちかち山」のような童話を現代風(もちろん作品が発表された当時)にアレンジした「37年型〜」シリーズは、物語作家としての夢声の資質が存分に発揮されている。このなかでは、ある漫談の芸人が城東某区の「特殊児童の学校」に招かれ、児童たちを前に「かちかち山」を披露したところ、話しているそばから児童たちの質問攻めにあってきりきり舞いするという「37年型かちかち山」がすこぶる面白かった。
戦後に発表され、文壇でも評価が高く、直木賞受賞候補にもなったという一連の作品は、さすがに舌を巻くうまさである。とりわけ“原爆ユーモア小説”と銘打たれた「連鎖反応 ヒロシマ・ユモレスク」と、兵役を忌避するため意図的に心を病んだふりをしたところ、それが現実のものとなってしまった青年の戦中戦後を描いた「九字を切る」がいい。
「連鎖反応」では、原爆体験の悲愴さと、全篇を覆う「イグナチオ・ロヨラ」という言葉の響きがかもし出す奇妙な雰囲気が混じり合って、一種異様な緊張感に包まれている。ロヨラ(イグナチウス)といえば、イエズス会の創設者として有名な人物だが、歴史的文脈から切り離されて、名前だけ唐突に小説の中に投げ込まれることによる効果は強烈だ。しかもそれがただナンセンスであるのではなく、「連鎖反応」として合理的に説明されるのだから、筋としても落ち着きがある。夢声の小説は、ユーモア、ナンセンスを基調にしながらも、ある種の緊張感を失っていないところが魅力だろう。
この特色は話術にも共通するのかもしれない。附録CDに入っていた漫談中、もっとも好みなのは「新四谷怪談」だった。ナンセンスというよりオチが通俗的というべきだが、戦前における大都会の夜ふけの不気味さを彷彿とさせるような語り口と背景音楽が相まって、耳を澄ませ、さて謹聴、そんな気分にさせられる。
正直に告白すれば、行き帰りの新幹線で、夢声漫談の入ったi-podを聴いていたところ、三つめの「名人会・大藪先生の話」からウトウトとなり、四つめの「押しが第一」はほとんど記憶になく、ふと目が醒めたら最後の「日本伝承童話「ぶんぶく茶釜」」になっていた。行き帰り二度ともである。「新四谷怪談」で緊張したためか、その緊張がゆるんで、逆に催眠効果をもたらしてしまったらしい。
徳川夢声の小説と漫談これ一冊で