求む! 第二の獅子文六

箱根山

獅子文六の長篇箱根山*1講談社文庫大衆文学館)を読み終えた。
この物語は、「西郊」と「関急」という二つの企業の箱根開発競争で生じた軋轢により開催された運輸省での聴聞会で幕を開ける。「西郊」とは西武、「関急」とは東急のこと。西郊の総帥には篤川安之丞、対する関急側の総帥には木下東吉という人を食った名前が冠されているが、当然篤川のモデルは堤康次郎であり、木下は五島慶太である。
冒頭篤川安之丞の人となりは次のように説明されている。

大変な地所持ちで、道路と、電車と、バスと、百貨店と、ホテルの経営者で、代議士で、柔道が三段で、下院議長の経歴があって、大交通資本の西郊鉄道のワンマンであって、――とにかく、すごく、勢力のある男である。(11頁)
こうした記述を読むと、どうしてもこのところの西武鉄道株問題を思い出さずにはいられない。西武が箱根に建てた仙石原プリンスホテルは昨年日産に売却されてしまったし、この物語で西武の子会社として登場する「函豆交通」こと、伊豆箱根鉄道もまた、昨年有価証券報告書の虚偽記載で社長が引責辞任した。
冒頭の聴聞会ではこの「西郊」「関急」の箱根開発の歴史が簡単におさらいされているが、土地勘がないからピンとこず、読みにくい。おまけに西郊=西武、篤川=堤のようにいったん頭で変換してから理解しようとするのでなかなか捗らない。
ところがここに、第三の男「氏田観光」の北条一角なる傑物が絡んでくると、俄然物語が面白くなる。このモデルは、佐高信さんの巻末解説によれば藤田観光小川栄一という人物なのだそうだ。
もっとも、北条一角が物語の面白さを牽引しているというわけではない。「西郊」「関急」「氏田観光」三つ巴の箱根開発競争は実は借景に過ぎず、物語の真の主役は、江戸の昔から箱根で温泉宿を経営する二軒の老舗旅館の人びとだ。この二軒は親戚同士ながら、互いにいがみあうライバルになっている。
そのなかで、いっぽうの旅館(玉屋)の女中がドイツ兵との間にもうけた混血児の青年と、他方の旅館(若松屋)の一人娘の恋のゆくえが物語を貫く大きな一本の筋となっている。玉屋には先代の未亡人が89歳ながら矍鑠として表に出てくるのに対し、若松屋の主人はもとより旅館業に身を入れるつもりはないインテリで、箱根の歴史を民俗学的・考古学的に追いかける素人学問に心血を注ぐ。箱根の土地など早く売り払い、田園調布に家を買ってそこで学問三昧の暮らしをしたいという夢を持った男。
こんな人物配置が、いつもながら獅子文六はうまい。巻末「人と作品」を書いた清原康正さんは、中村光夫獅子文六論を引用している。中村は「独立の立場を持つ人物の対立と、次にそこからくるユーモア」が獅子作品のポイントだという。
まったくそのとおりで、しかもこの対立は単純かつ図式的ではない。『箱根山』でいえば、二つのライバル旅館の息子と娘の「対立」ではなく、男のほうは女中の私生児で、仕事も旅館の下働きをやらされており、バランスを著しく欠く。その青年がすこぶる聡明で頭がいいという設定がなされているからたまらない。
この二人に、古き時代から伝統の箱根の温泉宿を支えてきた老婆女将と、学問狂いの主人という「対立」がからみ、その背後に「西郊」「関急」「氏田観光」の開発競争が入り込むという重層的な構図。
本書を原作とした映画が川島雄三監督で作られているが、見たことがない。“日本映画データベース”で調べてみると、若い二人に加山雄三と星由里子、老婆に東山千栄子、インテリ主人に佐野周二、北条一角が東野英治郎で篤川安之丞が小沢栄太郎という絶妙な配役だ。
実は読書の途中に配役を知ったのだが、そのせいで、残りを読もうとすると俳優の顔ばかりがイメージされ、苦笑せざるをえなかった。とりわけ東山千栄子東野英治郎の二人。映画ではきっとこんなふうに演じているのだろうなあと想像できてしまう。
題材に趣向を凝らし、人物配置の妙でストーリーを運んでゆくというタイプの小説家は現在いるのだろうか。いま読んでも獅子文六作品は面白いのだから、受けるに違いないと思うのだが。誰かこんな小説を書いてくれないだろうか。